「うまくいくかも知れないと考えてやると、実際うまくいくことがある。」
自分は運が強いのだ。
だからこの仕事もひょっとするとうまくいくかも知れない
と考えてやると、実際うまくいくことがある。
これは運を活用した姿である。
─ 松下 幸之助 ─ (松下電器産業創業者)
「20世紀の名言」からの引用です。
「運」の話ですね。
この考え方が一理あるのは分かっているんです。経営の神様と称される松下幸之助氏が言っているんだし、著名人にも自分の身近な人にも、同じようなことを言う人がいる。「根拠のない自信が大事だ!」といって、次々と成功を収めていく人たち。
そんな人たちが本当に羨ましい。
私は自他ともに運が悪い。薄々「なんか他の人よりついてない気がする」と思ってたけど、家族に「確かに運悪いよね」と言われて確信を持ってしまった。友人に「生きづらそう」と言われたこともある。
今、深夜に放送されている「アンラッキーガール」というドラマに親近感が湧く。そこまであからさまな不運の持ち主ではないけど、地味な不運がちょこちょこ降りかかってくる。
そう思ってたけど、改めて具体的な例を挙げてみようと思い返してみると、運の悪さのせいにできることはない気がしてきた。
大事な日に限って必ず雨が降るわけではないし、急いでる時に限って電車の遅延に出くわすという確率が人より高いとは言えないし、空から鳩のフンが落ちてきたことは記憶にないし、大きな事故に巻き込まれたこともないし、骨折もしたことない。宝くじに当たらないのは他の人と同じ。
私が「不運だ」と感じるのは、人間が関係すること。でもそれは「運」じゃなくて自分にも原因があるし、悪いことだけで終わらないこともある。
「年齢の近い女性にいつも嫌われてしまう」というのは、苦手意識が強すぎて自分で状況を悪くしてるだけなんだと思う。
社会人1年目の時、みんなから嫌われている人が上司になって、毎日会社に行くのが億劫だったことがあるけど、そのおかげで周りのみんなが心配して声をかけてくれて、気の合う人と出会えた。2年目からは転勤でその上司の部下ではなくなった。
でも、「運」というのは、こんなレベルの話じゃないんだな、きっと。
ある目的に向かって、がむしゃらに努力して、やれることはすべてやって、残されたのは「運」しかない。ここまできたら、「うまくいくかもしれない」という「運」に頼っていいんだろうな。果報は寝て待て。
スポーツのような勝負の世界で生きている人たちは、実力だけで戦っているように見えて、最後は意外と「運でした」というインタビューをよく聞く。
noteを書いていて、私は「うらやましい」という言葉がすぐに出てくることに気づいた。天才肌ではなく、努力でカバーするしかないのに、努力が苦手だということも自覚がある。
やるべきことをやらずに「運が悪い」というのは、本気で勝負している人たちからしたら、くだらない戯言でしかないんだろうな。
スキルを磨かずに、「運が悪いから」と開き直るのはかっこわるいな。今後、「運が悪い」という言葉が頭に浮かんだら、この記事を書いた時の反省を思い出そう。全力じゃなくてもいいから、今より少しだけでもいいから、前に進むための努力をする癖をつけたい。
こんな私でも、努力が報われた経験はある。努力の仕方も知っているはず。小さくてもいいから、成功体験を積み重ねていって、「きっとうまくいく」と思えるタイプの人間になっていきたい。