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「良い友人を得るのは運であっても、その友情を保っていくのは徳による」

僕等が良い友人を得るか得ないかは運であっても、
その友情を保って行くのは
主として徳によらなければならない。

   ─ 中村 光夫 ─ (評論家)

「20世紀の名言」


友達との縁は半永久的とは限らない。

社会人になってからは「友達の定義は?」という議論もあると思うけど、シンプルに「仲のいい人」としておく。入社して仲良くしてくれた人が何人かいるけど、転職するとその関係はだんだん薄くなっていく。残ってる人はだいぶ少ない。

大学時代はいろんな地域から来た人たちがいて、その中でも仲良くしていた人がいたけど、社会人になって地元に戻って今でも連絡を取ったり会いに行ったりするのは数少なくなった。

高校の同級生、中学校の同級生、小学校の同級生も、学校が変わっていくにつれて付き合いが疎遠になっていった。


学校でも会社でも、新しい人と出会う機会はたくさんある。人を選んで入った場所ではないのに、友達になれた人たちとの出会いは運かもしれない。

でも、その関係性には濃淡があって、淡かった人は場所が変わったらすぐに消えてしまったし、濃かった人も接触機会が減っていくにつれてだんだん遠い存在になっていく。


それでも残った友達って、「ずっと仲良くしてくれてありがとう」と思う。

この感謝の気持ちが、ここでいう「徳」の表れなのかもね。




このnoteでも、「女性との関わり方が苦手」と何度か書いてきているけど、女友達がいないというわけではない。

それから自分が未婚だから、結婚して、しかも子どももいる人とは、だんだん気まずくなって付き合いが疎遠になった人もいる。

でも、大学時代に仲良くなった子は、女の子だし、結婚して子どももいる。


大学に入ってしばらくして、何となく「この子と仲良くなりたい」と思って、私から「友達になってほしい」と声をかけた。

恋人でも「付き合ってください」って言わないパターンも多いはずなのに、ましてや大人になってから「友達になってください」はなかなか言う人いないんじゃないかなとは思う。

でも、すでにその子が他の子と2人で仲良くしていたから、なぜか焦ってしまって、つい声をかけてしまった。

「彼女がいる男の人に告白するわけじゃあるまいし」と今でも思うけど、本当に、「なんか、つい」という感じだった。


大学時代は、よく食事やカラオケに行ったし、遠出して遊びにも行った。他の人との関係は待ちのスタンスが多かったけど、この子は自分から誘えた。

大学を卒業してからは、お互い大学があった地域からは離れたところに就職して、あまり会う機会はなかったし、彼女は若いうちに結婚して子どもも授かった。でも疎遠にはならなかったな。

お互いに頻繁に連絡をとるタイプでもなく、数か月間、音沙汰がないことはよくあるのに、思い出したように連絡を取る。

それでいて延々と恋バナをするわけでもなく、誰かの悪口を言い続けるわけでもない。淡白な感じだけど、お互いに何かの折に「仲良くなってよかった」と言い合ってしまう。どこか波長が合うんだよね。

彼女とは、私が居心地良いと思える距離感を保てているから、「ずっと仲良くしたい」「幸せになってほしい」と思うことができる。




もともと人との距離を縮めるのは苦手だけど、仕事を始めてから出会った人とは、特に仲良くなることに少し警戒心を持ってしまう。

それでも仲良くしてくれる人はいるし、必要以上に拒否せず、自分が疲れるほどに踏み込まれることなく、程よい距離を保っておきたい。




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