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私は生来、自分勝手で、集団行動が苦手だ。そんなだから、学生時代、ほとんどの先生と上手くいかなかった。怒られた、殴られた記憶ばかりだ。でも、この先生とだけは、不思議といい思い出しかない。

先生は高校時代「すごいエロ本があるんだけど読まないか?」と言って、生徒に『ノルウェイの森」を勧めたという、とてもユニークな方だ(先生は否定しているが、私達はそう記憶している)。先生のおかげで村上春樹やそれ以外にも読書が習慣づいた人も多いと思う(多分)。

そんな先生も、昨年4月に退官を迎えた。教師生活40年。私にとっては高校時代は3年間だけだが、先生はあの高校で40年間過ごした、そう思うと、感慨深いものがある。今はご自宅で悠々自適、読書サーフィンをしているそうだ。

今回、わざわざお呼び立てしたのには訳がある。それは教師時代に先生が受け持ちのクラスで行っていた、ある習慣による。

先生は生徒に雑感帳なるノートを回して、自由に、好きなように書かせていた。何を、どんな風に、どれくらい書くか、何から何まで自由である。
書いたもの一つひとつに先生が赤ペンで返事を書き、そのやりとりは他のクラスメイトの目にも触れる。思春期で多感で、自意識の高い男児(私の高校は男子校だった)が、そんなもん真面目に書くの?と思うかもしれないが、みんな意外ときちんと書く。

この日、先生に私の代の雑感帳を持ってきてもらい、目を通したら、私もきちんと書いていた。勉強のこと、当時暮らしていた寮のこと、部活のこと、昨日見たテレビのこと、映画のこと、本のこと、世の中のことetc.
今見ると、内容は青臭くてどうしようもないが、それでも一生懸命書いていた。他のクラスメイトも同様だ。とにかく、書いている。人目に触れてでも、いや、触れるからこそ、何か、言いたいことがあったのだろう。

先生は、この取り組みを、40年間、担任を受け持つたびに続けてきた。累計29クラスにも及ぶ.たまりにたまった雑感帳は段ボール一箱ぎっしりあるという。

さて、ここで問題なのだが、個人情報保護法の観点から言うと、こういったものは厳重に管理されなければならず、それができないなら、廃棄しなければならないらしい。

先日、それを気に病んだ先生がSNSに雑感帳の写真を挙げて、助けを求めた。それを見た私が、とりあえず自分のものを見せてもらいに来たというわけだ(自分勝手)。

「誰かに引き取ってもらうか、さもなければ処分するか…」先生はそう言うが、私はそれには反対だ。だって、40年間分だよ? 当事者はもちろん、それ以外の人にとってもすごく価値があるものなんじゃないかな?

40年前の生徒が何をどう思っていたのか。今の生徒はそれに比べると、どんな違いがあるのか。もしかしたら、全然変わっていないかもしれない。試験の成績とか恋愛のこととか、同じようなことで悩んでいるかもしれない。でも、それはそれで素晴らしいことだと思うんだけど。

あと40年の間に色んな出来事があった。たとえば、東日本大震災の時、たとえば、911のテロの時、たとえば、湾岸戦争が始まった時、たとえば寅さんが亡くなった時(僕は個人的にはおおきかった)、そういう時、生徒がどんな風に捉えていたのか。もしくは、捉えていなかったのか。それを知る上でも貴重だと思うんだけどな。

先生が処分する、もしくは手放してしまう前に、何とかしたい。そう思って、知り合いの編集者に声をかけて、書籍という形で一般化できないか、その道を探ってみる事にした。それに向けて先生にも、もう一度、読み返してもらって、印象的なものをピックアップするという編集作業をお願いした。膨大な量なので、時間はかかるし、大変だと思うけど、先生は快く引き受けてくれた。というか、誰かがそれをやるなら他の人じゃなくて、自分でやりたいと思ったみたいだ。いい先生なのだ。金八先生とか、GTOとか、全然そういうんじゃないけど。いるんだよ、こういういい先生。

どうなるか分からないけど、恩返しのつもりで、いい方向に向かうように骨を折ってみたい。

いやー、それにしても、この頃の書きこみは、本当に青臭いな。同じところをグルグルめぐっているというか、本題になかなか入らないというか、「何が言いたいんだ?」「結局それか?」みたいな。自分のもそうだし、友達のも。とりあえず、自分が在籍したクラスだけだけど結構読んでしまった(みんなごめん)。

先生はアナログのものは、デジタルと違って「身体性」があるって言ってたけど、まさにその通り。手に取って読んでいるうちに、顔とか名前とか、当時の気配みたいなのが戻ってくる感じがあった。これは、とても、法律に従って処分できるようなものではない。処分するなら、それなりの形式と儀式が必要だと思うよ。

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