子育てと虐待と願い

今私は小学二年生の息子を育てている。

彼との関わり方は、
今どきの、ヨシとされる教育論とはかけ離れているかも知れない。
それでも私らしくていいか。と思っている。

習い事はさせていない。
割といろんなことに興味を持つ彼だが、いかんせん流れやすい・流されやすいお年頃。
そんな彼の習い事への関門として
私の中で決めているラインが2つ有る。

一つは、私の意見を押し通さないこと。
欲を言えばきりがない。
スポーツをやらせたらきっと良いだろう。
水泳も身体を作るのに良いかも知れない。
体格も良いし、空手なんかもサマになる。
プログラミング教室のチラシ(レゴを前面に出したもの)をキラキラした目で彼が持ち帰ってきた時は「良いかも!」とは正直思った。

しかし、もう一つ私の中で決めているラインがある。
それは、「彼が二度目の、渾身のお願いをしてきたら全力で応援しよう」というもの。

彼の移ろいやすい興味・関心、
ひとり親家庭の実情、
未来への希望、
いろんな思いが交錯するが、彼がやりたいと思ったものは応援したいと思ってはいる。
ただし、一度「考えておく」と母から保留にされたものをもう一度ぶつけてくる覚悟と根性があるものならば。
と決めた。
今のところそんなものには出くわしていない。
もしかすると彼の興味を一度保留にすることで「頼んでもどうせ断られる」と諦めさせている部分もあるかも知れない。
それでも「本当にやりたいことなら1ヶ月後もう一度ぶつかってこい」という私に、彼がぶつかって来たことは、まだない。


私は2度ほど、
《これは誰がどう見ても明らかに虐待だ》
ということを全力でやったことがある。
虐待の自覚はあるが、後悔はしていない。

一度目は、保育園に通園していた頃。
私は息子の上に馬乗りになって首を絞めた。

ある日のお迎え時、
ワチャワチャと合同保育をしている部屋から閑散としたいつもの部屋へ移動し、荷物をまとめていた。
同時刻に息子が非常に仲良くしている男の子とその母親も、同じ部屋に現れた。

早く帰りたくて忙しなく荷物をまとめる母親たちとは反対に、広々とした部屋でじゃれ合う息子とお友達。
非常に体格よく育った息子なので、常日頃からお友達との遊び方には気を使えと言って聞かせていた。
ふと目をやるとふたりとも楽しそうにじゃれていたが、息子の両手がお友達の首にかかっていた。
遊びの範疇のことではあった。二人で笑い合いながら首を絞めるふりをしていた。
瞬間的に私はブチギレた。
お友達と息子を引き離し、息子に馬乗りになり首に手を当て力一杯《これがどういうことか》を叫び散らかした。

お友達は呆然。その母親はオロオロ。
息子は当然萎縮して泣き、私はひとしきり叫んだ。
カオス。笑
その後、お友達親子に二人で謝り、いつもの日常に戻った。

二度目の虐待は去年のこと。
ごめんなさいと言い続ける息子の頬を力一杯何度も叩き続けた。

事の始まりは母からの報告
《何かここ数日、やたらとお金を持っているフシがある。なにかがおかしい。》と。

私自身が財布を厳重に管理しているわけでもないので もしや…と思った。
蓋を開けてみたらお金の出どころは私ではなかった。母でもなかった。
同級生の、親には内緒で持ち出してきたお年玉だった。
聞き出していくと、そのお金で同級生といっしょになっておもちゃを買い集めていた。何個も何個も。
《これは僕のでこっちがあの子の。》
と恐る恐る説明する息子に私は恐怖した。
それをいたずらっ子が隠し事をするかのように私や母の目の届かないところに隠していた事実にも恐怖した。

私はそれがどんなことか、どういう意味なのか、どんな事がその先に待っているのかを語る間中
泣いていた。泣きながら息子の頰を張った。何度も。
ごめんなさいごめんなさいと泣いて謝る息子。
それでも語り終わるまで度々頬を張った。

その後、同級生の自宅へ行き、説明、謝罪、返金、おもちゃも同時にお返しした。


どちらの経験も、私と息子の間では強く残っている。息子は折に触れてそのことを思い出す時
《あんなに怒られるなら二度とやらない》
と今は言っている。
私だって二度とやりたくない。
泣きながら息子を虐待するなんておぞましくも思う。
しかし、その2回の経験を、後悔はしていない。
苦い思い出ながらも、必要なことだったと今も思っている。
今後も同じようなことがあるかも知れない。
そうすれば私は同じように全力で虐待するだろう。
なければいいと願っている。


息子が言葉を覚え始めた頃から始まり、
今も言い続けていることがある。
きっとこれからも言い続けるであろうことがある。
それは、私自身に課しているものでもある。

《この4つのことを大事にしなさい。
順番通りに覚えなさい。
順番はそのまま、大事な順でもあるから。
1 ありがとう
2 ごめんなさい
3 ご挨拶
4 お返事
これを当たり前にできるようになりなさい。
できれば笑顔で、相手にきちんと聞こえるように。
そうすればあなたは愛される人になる。》


私は教育に関して詳しい訳では無い。
息子をだいそれた人物に育てたいという野望もない。
自分の思い通りにするといった気持ちもなければ、そもそもそんなモデルケースも持ち合わせてはいない。

今どきの教育理論からは全てかけ離れているであろうことは、自覚している。
それでも良いと思っている。
それこそが親である私から息子への虐待だと思う人は思うだろう。
声の大きな私が、古い一軒家で説教をするときなど、全て外に筒抜けだろうこともわかっている。
今のところ児童相談所のお世話になっていないのが奇跡なのかも知れない。

それでも私はこうやって息子を育てている。
今のところ、オープンマインドな自由な昭和のガキ大将のようにすくすくと育ってくれているのは、母を始めとする周りの関わってくれる人たちの助力の賜物だろう。
息子本人の生来の素晴らしさでもあるだろう。

この育て方の答え合わせは彼が大人になったときにできるかも知れない。
私が死ぬ時?
いや、彼が死ぬときに《あぁ楽しかった》と言えるようであれば、成功したと言えるのかも知れない。


他人を容易に傷つけない人であれ。
感謝できる人であれ。
自分の至らなさをきちんと受け止められる人であれ。
自ら人と関わっていける人であれ。
きちんと相手の話を聞く耳を持つ人であれ。
それを通して、人を愛せる人であれ。
願わくば人に愛される人であれ。

いつかあなたが擦り切れて倒れそうになった時、
それを支え 包み 慈しんでくれる人が側にいるように願う。

ちょっと欲張りすぎているかも知れない。
それでも息子の未来が明るいことを願ってやまない、今どきを無視したひねくれ者。
そんな母親の一面が私には存在している。

そんな私もまだまだ周りから育ててもらっている最中である。

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