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仕事出来る人になりたいというネタ

私達が誰かの快適さのために頭を使っていくら策を講じても、その快適さや解決には届かないこともあるよね、って話しをしてた。本当にその通りなんだけど、なんとかしてあげなければいけない、そう出来ないのは私の責任だ、という状況に陥ってしまうことがよくある。本当に、そうなのだろうか?


こんばんは。仕事と家を行ったり来たりの私です。瞑想代わりにこれを書いています。なんなら仕事も家なので、実質家一択です。引きこもり万歳。唯一の世界との接点が、noteに綴るこの文章と、Xでの独り言のみとなって、早1年が経ったようです。あんなにSNSに投稿してた日々ってなんだったの?でもそろそろ何か話したいような、話したくないような、狭間にいます。


誰かが悩んでいたら、話を聞いて歩み寄る。もしくはそこから抜け出せるお手伝いをする、という図式は、占いをしていてもよく成立する光景なのだけど、与えるもの、与えられるもの、といった依存関係は、どちらかが満たされるまで与え続けることとなって、途中で力尽きたり、与えれば与えるほど不満が募ったりと地獄になることもある。私はね、その地獄の入口に凝りもせずしょっちゅう行ってしまうのですよ。で、定期的な長期休暇をいただきます(笑)



相手には相手の問題があって、色々とうまく行かないのかもしれないよね。パートナーシップとか、家族とか、友人関係とか。


そんな話をされてなるほどな、と思った。

私が何かをしてあげられていないから調子が悪いのではなく、その人が調子悪いだけかもしれない。そして、私が調子悪いのは、自分にものすごく自信ががなくなっていたり、不安な気持ちが強くなっているからかもしれない。そしてそれは接している人には伝わってしまう。


作業時間の削減に意識を注ぐあまりに、まぁまぁありえないミスをしてスーパー弁明に奔走したのだけど、思えば「早くしなきゃ」「ムダをなくさなきゃ」「遅い、仕事出来ないって思われたくない」という恐れだけでこの数週間やってきてしまった気がする。今のやり方でどうにかなるという手応えも特になく「おいおいおい、本当に大丈夫かよ?」と疑心暗鬼になって、大きなミスがいつか起こることに怯える気持ちが高まっている感。あの楽しく推しの仕事が出来ることに喜んでいた私とは別人のようじゃないですか。好きな人の気持ちが見えなくて「あの人は私をどう思っているのかしら?」と思わず占い師に聞いたり、カードを引いてしまう気持ち、忘れていたと思ったのに今少し思い出した。

そんな調子悪い時はだいたい休みの日も仕事してるでしょ?今月なんか11連勤で?瞑想たったの15分の時間すら取ってあげられていなかったり?油断も隙もないわね。

私の不安を拭うために何かしてもらう、あなたの不安を拭うためにたいして優秀でもない頭で何時間も唸るくらいなら、もう流れに任せるほかないじゃない。楽しむしかないじゃない。これが心理。


私が今出来ることは仕組みを考えることでもなく、自分の心を穏やかに保つことであり、出来るとしたら、お茶でも飲みながら自分の受け止められる範囲で話しを聞いてあげることくらいだろう。まずはそれくらいの心のゆとりを自分自身に取り戻すこと。


今も昔もそんなことしか出来ないわけですが。



そんな私が「仕事出来ますね」と思ってもらいたがって不安で悩んでいるとか・・・
今年の上半期のなかなかのギャグだと思います。ややウケ。







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