令和元年11月11日~20日

この十日間はかなり色々なところでお仕事させていただきましたが、トピックになりそうなところは3つくらいになりました。

①ロ字ック様の三軒茶屋シアタートラムでの舞台『掬う』の公演中、13日のアフターイベントに劇団「地蔵中毒」が出演する運びとなりまして、吉祥寺シアター以来の大きな劇場に立つという緊張の機会をいただきました。ロ字ックから日高ボブ美さんと大竹ココさんにご出演してもらえ、地蔵中毒サイドにはメリットがたくさんありながらロ字ック側にはデメリットしかないイベントになるしかないのですが、快く迎えていただきました。

作演出の山田佳奈さんがリハーサルをご覧になって、地蔵中毒の基本的なセリフの抑揚の付け方(ちょっとだけ特殊?)をすっかりインストールしてしまったのが凄かったです。演出をつけるだけでなく、実際に地藏中毒風の日常会話をしてみるという芸当をその場で披露され、色んな役者さんがまず戸惑ってしまうところを易々とやってのけてしまう、驚きです。


②毎月17日の広小路亭マゴデシ寄席に出ました。ここでふと思うことがあって火焔太鼓をかけたのですが、お客席の空気とそれほどマッチできなかったかとは思います。がじらの火焔太鼓は、ナンセンスを突き詰めた実践として再構成しているためちょっとチャレンジングで、いつか完全版をやりたいですが、来年に持ち越そうと思います。今年の5月に連雀亭の独演会でネタ出ししたときは諸事情により噺が走れなくなってしまったので、もう少し時間をおいて、まんをじして引っ張ってこようと思います。このチャプター、すべての文が”思います”で終わっている!


③19日は第七回立川がじら独演会。11月21日が談志家元の祥月命日にあたりますため、今月は談志十八番に挑む、と銘打ち、銘打ってしまって、家元が好んでおやりになった噺を申し上げました。当然ながら真っ向から立ち向かうような真似はできませんで、あらゆる方向から色んな手段で噺と向き合います。

【短命】この噺、伊勢屋の婿としてやってきた旦那が次々死んでいく理由を八五郎が隠居さんに訊ねるわけですが、隠居さんのボヤかす言い方に中々察しない。通常では結局答えに達するわけですが、私それはおかしいと思います。やっぱり八つぁんは最後まで気づかないままでいて、そのまま後半の展開になだれ込むほうが良いのでは。
それなら、オチをどうするか。
ここで、従来の二人称から三人称に転換してみました。うちの師匠が『子別れ』のオチでやった方法を借用しております。

【疝気の虫】これをがじらがどのようにやっているかというのは、実際にご覧頂く以外に説明はできません。こういうふうにやってるよと書いたら「なにやってるの?」以外の感想しか出てこないです。

【野晒し】若き談志家元の十八番。リズムとメロディが渾然一体となった家元の名演、ひとつの速度であるような一席。新しいクスグリはどこへ挿入可能か、それはこの速度に並走できるスピードにかなう限りで可能になります。ともあれ、オーソドックスな形での挑戦となりました。


【鉄拐】中国で起きたことを日本語に翻訳しているので、ちょうどジャッキーチェンの映画のようにコミカルな風と小ネタの数々を添えて。本当は別の演目を考えていたのですが、14~16日の志らく独り会で師匠が鉄拐とその後日談の上海パラダイスをかけていて、勉強に伺ってどうしても同じ噺を喋ってみたくなり、挑戦しました。

小ネタの数々は独立したネタとして使えるようクオリティの高いものにしぼっていくつもりです。しかしいったい何をもってきたら、この噺を現代に蘇らせることができるのか。解釈と拡張と再起動。



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