3/31第11回立川がじら独演会 幻のレポート
令和2年3月31日(火)は第11回立川がじら独演会が神田連雀亭にて開催される見通しでありましたが、流行り病の息が当初の見込みより長く、日本古来より伝わる甘えびの神様の力もむなしく、ついには連雀亭が4月後半まで自主的に営業をとりやめることとなりました。
この一連のコロナ騒動を会場オーナーさんはとても気にかけておられ、これまで入口での手指の消毒からお客さんの手が触れる可能性のある場所の日々の消毒、サーキュレーターを設置して空気をかきまわし、可能な時間窓を開けて換気も徹底し、お席も間隔をあけて座って頂くよう定員数を半分にして頑張ってきました。
それに立川がじらの会はだいたいお客様の数が定員の半分を下回るので、人が密集する感じにはならないのが常です。
それら個別の対策があっても、マクロに見ればこれはもうブラックボックスのような密室が並列しているだけなので、ある視点からの対策を講じなければならなくなります。
そういうわけで、実演会場を失った独演会は、開催されないことになったのです。
いったいこの日、もし立川がじら独演会が開催されていたら、どのようなライブになったのか、ここを虚実ないまぜにして書いてみます。ほとんど嘘です。
おそらく世情に対する若干の不安があるせいで、会は時間通りか、少し早めに始まったかもしれません。
高座に上がって開口一番、がじらのご挨拶は決まっています。
「ライブハウス連雀亭へようこそ!」
わかってほしいので解説を入れますが、氷室京介が武道館での有名な発言のパロディで、ライブハウスに対する風当たりが強くなっていることへの皮肉が第一義ですが、がじらが伝説の氷室をオマージュするということ自体がギャグになっていて、同時に両者とも群馬県出身という隠れた意味がありそれをご存知の方には異なるニュアンスも生まれる気の利いたフレーズとなっています。過剰に説明すると恥ずかしいですね。さらにあとふたつくらい意味が入っています。
前半のマクラの話題
・コロナ
もともとコロナにさっと触れて、コロナ流行中に行った「ちょっと変なお仕事」についてのエピソードを能力の範囲内で面白おかしくお話しするつもりでした。このお話はコロナが収束した頃にライブでお話したいです。
その他「ファックスでトイレットペーパーを送ろうとして断られたこと」等。そこそこの小さな笑いを入れて雰囲気をつくっていきます。
・ワニ
あとは「100日後に死ぬワニ」です。
Twitterで物凄く話題になって、みんなが我がことのように見守って心配して、結果、死後いや死と連続したまま今後のグッズや映画などの展開の情報が爆発して批判的に炎上したワニについて。
死ぬことを待たれるこのワニの出来事は、実録のゾンビもののように思えます。
刻一刻と、毎日19時に更新される四コマで命のカウントダウンがなされるワニ。死に方(終わらせ方)を予想する向きはあっても、そこで完結すると思っていた。そこへ間髪入れずメディア横断的にワニが展開していく。
この死後の様が、まるでワニがゾンビになってしまったかのように見ました。死ぬことでパブリックな身体を獲得して他ジャンルへ感染症のように広がり、ワニの意思によらず拡張していくイメージとしてのボディ。当然そのゾンビ化に、人々は恐れ反発をします。広告代理店がバックにいることが騒がれましたが、広告の影響力とはまさに感染です。
ワニの100日間は、ただ生きていてくれればそれで良かった。その後ゾンビになっちゃったから悲しいのです。という話。
ここいらで前座噺を、何か一席やったと思います。このセレクトは現場しだいです。
二席目『長屋の花見』
朝早くに大家さんに呼び出された貧乏長屋の面々、誰一人家賃を払ってないことから長屋を追い出されるんじゃないかと戦々恐々としているところ…大家さんから上野の山へお花見のお誘い。しかも大家さんがお酒とお料理をご馳走してくれるという!
ところがどうも様子がおかしくて、一升瓶に詰まったお酒が実は色が似ている番茶で、卵焼き=たくあん、かまぼこ=大根、つまりみんなニセモノで代用されていた。
ヤケになって花見へと飛び出していく一同。持ち物はすべて大家さんが用意したダンボール箱に入れて持っていくことに。ダンボールなら潰して尻の下に敷けるから!
組み立てたダンボールを前に抱えてぞろぞろ…
「なんだかこれ、東京地検特捜部のガサ入れみたいですね」
こうして次第にトリップしていく長屋の面々と、マッドサイエンティスト大家に桜が散る散る、舞い散って狂気のお花見は続いていく。。
オチはハッピーな感じです。
ここで10分仲入り休憩に入ります。
休憩明け、後半のマクラの話題。
・志村けん
物心ついたときから唯一のコメディアンで、考えてみれば私の最初の師匠のような方。もしこの人がいなかったら、というほどの自分の笑いのバックグラウンドです。新しいものがお好きで、最終的には人類が経験するいちばん新しい病気で一足早くに逝ってしまわれた。
ずっと過去のコントの映像を観ていると、かなりの頻度で入る演出があります。それは、若い女の子が口をつけたコップやストローを志村さん演じるおじさんが舐めたり吸ったりすることです。そりゃこの人に感染症うつるわ!!と突っ込みたくなりました。やりたい放題で最高です。こんな大人になりたかったんだ。とにかくすべてが大好きな人です。
・桜
今わたしたちにとって桜とはピンクの染井吉野のことを指しますが、これは明治になって文部省と植木屋が植えた俗悪な桜だと批評家の小林秀雄が言っていて、それ以前に本居宣長が愛でた桜といえば、山桜。この桜がもともと和歌に詠まれてきた桜です。花と葉が同時に開くという特徴があるので、だいぶ見頃の印象が変わりますね。
三席目『花見の仇討』
花見の名所は飛鳥山。何か趣向で目立ってやろう、江戸中の評判になってやろうという四人。考えたのが、巡礼兄弟による仇討のシーンを派手に演じて観衆を驚かせようという趣向。親の仇を探す巡礼の兄弟、桜の木の下でひとりの深編笠の浪人に煙草の火を借りる。見ると、なんとその浪人こそがこの兄弟の親の仇!仕込み杖を抜いて浪人に立ち向かう。チャリンチャリンとやってるところに、六十六部(こういう人がいるんです)が現れて仲裁に入り、三味線を弾き出すと途端にみんなで踊りだす…という緊張と緩和の大芝居。と、ここまでヴィジョンは描いたものの、トラブルが各セクションで起こって…。さあこの芝居の立ち回りの真っ最中、仲裁役が来る前に、なんとホンモノの侍が刀を抜いて助太刀に入ってしまう!これじゃあ死人が出ちゃうよ、どうするの!
「仇討は続ける! カメラは止めない!」
こっから脚本がこんがらがって、さてどうなりますやら。
ここからが面白い!
この続きは、来年の春!
というわけで、第11回立川がじら独演会でした。
ありがとうございました。どうぞお気をつけてお帰りください。またのご来場をお待ちしております。だいたい21時すぎくらいの終演になったと思います。