4/21note

一か月後に誕生日を迎えるので、そのときに何か所信めいたものを述べようと思っているのですが、どうせなら一ヶ月くらいかけて書こうと思って久しぶりにnoteを開いてみました。
今まで人生において日記というものが続いたことがなく、成人して以降に日記帳を買うことがあっても中途半端にしか続かなかった。それが、2021年元旦から記し始めた今年の日記は今日まで100日以上続いている。これにはやはり昨今の社会事情が影響しているのだろうけど、以前は仕事がない日は日記に書くことがなかった。ところが今、仕事はないのに日記が続くようになった。不思議なこと。

大学の頃、民俗学の授業で「日記に書かれないことを研究するのが民俗学」みたいなことを教わったのが印象に残っていて、日々の特筆すべき出来事でなく自明のことのうちに生活の事実があるということだと思うのですが、何もなくても日記はスイスイと進むことがあって、同じ日々の微妙な変化が推進力になったりして。
この、推進力というもの、差異から生まれてる。繰り返している事態に随時生まれている違い=ほころびが見つかると嬉しくなるようにエネルギーが生まれて汽車は動き出す。

にっぽん三度目の緊急事態宣言が出そうです。初回の初々しさは過去のもので、二度目の淡さも弾け飛んだ今、緊急事態は本領を発揮するか。宣言と解除は波のようだ。(もっとも、大抵のものごとは波に例えられると思う)
まだ、どうなるかよくわかっていません。瞬間的無職風人間が増えるのは間違いないのかな。「間違いない」とよく言っていた漫談家がいて、間を違えないというのは芸人として至上のことではないかと思った。

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