マグカップからデザインを旅する
いたるところにデザインは転がっている.あれもこれも,考えだせば大概のところにデザインを見出すことができる.新しくマグカップを買ったときも,デザインの世界を色々と覗いてまわることになった.これはその旅行記.
いい旅に連れて行ってくれた,このマグカップは「買ってよかったもの」だ.
インターフェイスとしてのマグカップ
コメダ珈琲のモーニングによく行っていた.コーヒーの味はあまり好みではない.ふだんは使わないミルクを入れる.そのわりに,通ってしまう.お頻繁に見かける,おじいちゃんの友だちグループが可愛いからだろうか?
その秘密はマグカップの口当たりにあるのではないかと,あるとき思った.
コメダ珈琲のマグカップは有田焼らしい.なめらかで厚みがあり,飲み口のところで外側に広がっている.天端のところは内側にむかって傾斜がついている.これもやわらかな口当たりに貢献している気がする.
図1.コメダ珈琲のマグカップ(出典:https://komeda.shop-pro.jp/)
それまではサーモスの保温のマグカップを愛用していた.熱々のコーヒーを飲むときの,熱量を体に流し込むような感覚が好きだった.その飲み口は,ステンレスで非常にシャープだ.口当たりを意識するようになって,それが気に入らなくなってしまった.
コーヒーとくちびるが出会うところ,マグカップはそこの重要なインターフェイスだった.飲み口をデザインすることは,身体との関係をデザインすることだ.マグカップの外見のデザインだって,それは同じことかもしれない.でも,マグカップに口をつけるたび,そのインターフェイスの出来をひしひしと感じることになる.
失われた口当たりを求めて
口当たりのいいマグカップが欲しい.そう思って気づいたのは,当たり前だけど,口当たりを検索する手段がないということだ.説明文を読んでみても,口当たりについてほとんど書かれていない.お店でマグカップを探しても,口をつけて試してみるのは難しそうだ.
手当たりしだいにマグカップを画像検索して,口当たりのよさそうなマグカップに結びつくキーワードを探すことになった.
図2.映画『スカイ・クロラ』に登場するダイナー
検索の旅に出て,たどり着いたのは,アメリカ.
ぽってりとした,飲み口の厚いマグカップには,アメリカのダイナーのイメージがあるらしい.「アメリカンダイナー マグカップ」で検索して,自分の求めていたマグカップはこれだと思った.
口当たりという非常に身体的なものを求めて旅に出たのに,いつの間にかイメージの世界に迷い込んでいた.ぼくは今,色々な口当たりに出会える,まだ見ぬ場所に想像をふくらませている.重要なのに知ることの難しいデザインに,触れることのできる環境をデザインすることはできるだろうか?
マグカップのデザイン:口当たりをこえて
口当たり以外の好みを色々と考慮して,最終的に購入したのはESPRESSO PARTS社のマグカップ.
図3.EP PORCELAIN DINER MUG(https://www.espressoparts.com/)
コメダ珈琲のマグカップよりも,飲み口は厚い.口当たりはいっそうやわらかだ.ただし,そのせいかコーヒーがくちびるの脇に漏れてしまうことがある.そして,なにより重い。マグカップ自体が500gもあるので武器になる.ただし,熱容量のおかげで,熱々のコーヒーに今でも出会えている.
デザインは,相反することの間でうまくバランスを取ることみたいだ.コメダ珈琲のマグカップのバランス感覚は冴えていた.そのバランス感覚を少し崩して,行き過ぎてしまった,このマグカップのデザインの不器用さを,それでも妙に愛おしく思ってしまう.
おわりに:アイスクリームを添えて
「アイスクリームのデザイン」という森博嗣のデザインについてのエッセィがある.『森博嗣のミステリィ工作室』で読むことができる.初出は『建築雑誌』の1991年6月号で,そちらでも読むことができる.
最後に,森博嗣の考えるデザインを引用して,この旅を終えたい.
デザインは,材料と構造と機能を包んでいる.けれど,それは,形にも,大きさにも,強さにも還元できない,シミュレーションできない領域のために用意されたとっておきの呪文のように思える。つまり人間が考えるしかない行為である.(中略)シミュレーションにけっして現れない予感があったりする.それが「デザイン」の本来だと,僕は神様のようにこの言葉を出し惜しみするのである.
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