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勘弁してくれ、こっちはエンタメ吸いにきてんだ(不定期日報)

 某イベントでめっちゃめちゃカッコいいバンドと出会い、ウキウキしながらyoutubeのライブ映像とかを観にいったら、MCで「俺たちは反原発! 自然に還ろう!」だとか、「アベ政治は要らない!」とか言っていて、なんというか、「いやぁそっかぁ…」と思ってブラウザを閉じてしまった。

 彼らの思想(反原発やアンチ現政権)に対してどうこうってわけじゃなくて、エンタメ吸いに行ったのにそういう面倒な話しないでくれよという気持ちになったん。満喫行ったら棚が全部学術書だったみたいな。

クリエイターが政治的なアレコレを声高に表明するということ

 上述のようなことを自分が体験するにつけ、クリエイターが政治的思想に関する発信をするということは、ある程度のリスクがあるんだなぁと思う。控えるべきとかではなく、そういうリスクを念頭においておくべきなんじゃないなぁと。

 クリエイターというものは自己の思想を創作物に投影する商売で、その"思想"の中には政治的なものも勿論含まれている。それを否定はしないし、芸術だからこそ表出させられる物もあると思っている。

 加えて、所謂「作家の人格と創作物は別か否か」みたいな話もあって、多少過激な主張をしている人であっても作品がすげーからいいんだよっていう意見もごもっともだと思う。

 そんな中で"リスク"と呼んだのは、そういう発信をしていることで「表立って応援されづらくなる」可能性があるというところ。"そのアーティストを応援することで、そのアーティストの政治的思想まで応援しているように見なされる"気がする。考えすぎかもしれないけど。

 例えば上述の原発やら現政権やらについて、僕自身はフラットというか……なんなら「うるさいなもう、勝手にやってくれ」くらいに思っているのだけど、そのバンドを表立って応援することでそのバンドの思想に賛成しているように──つまり、「反原発・アンチ現政権派のひと」と見なされてしまう……気がする。それは本意ではないし、望むところではない。だから表立って応援しづらくて、家でCDを聴くだけになってしまう(=拡散性がなくなる)。

 特に音楽家、小説家、漫画家あたりは、すでに所属がどうとか以上に個人を応援するコンテンツへと変容しているように思う。信頼が個人に紐づいている。その状況下でそういう「本意ではない」ことが起こるのって結構なリスクだと思う。

「酒の場で政治と宗教と野球の話はするな」

 酒を飲み始めたころ、親父から賜った言葉だ。ロクなことにならないからと。実際にそういう話を酒の場でしたこともあるが、美味しいお酒になった記憶は少ない。

 創作物を摂取するとき、人々は酔いにきているとも考えられる。そう思うと、多少は気をつけた方がいいのかなぁ、なんて考えたりもする。

以上だ

 オチはないんだ、すまない。

 ちょっとネガティブで面倒な話題だったな。明日は明るい話題だから安心してくれ!

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