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明日書くことは明日の私に聞いてみる


66日ライラン(連続投稿企画)を無事に走りきり、気が抜けた私ですこんばんは。

#挨拶文を楽しもう


とは言いつつ書いてますが、今日はなんの話でもありません。いや最近ずっとそんな話ばかりでしたが、今日のは思考の掛け流しです。ここで離脱を推奨です。


お付き合いいただける奇特なあなたには感謝してスキしに参ります。ちなみに1600字くらいです。


さて気が抜けたままに他の方々の記事を読みに行って、いくつかコメントしてました。ライラン中より落ち着きが見えます。誰に?私に。別にそうは見えないでしょうけど。


しかし全然追いつきません。読もうと思ってた記事も感想書こうと思ってた記事もまだまだある。しかも増える。


自分の記事を書いてないのにこの状況。投稿しつつコメントも沢山してる人たちはいったいどうやっているのやら。


それはそれとして、ライラン中はなんの話か分からない話を書く縛りを課してたので、今は二重に解放されてます。さてじゃあ何を書こうかしら。手が止まりました。今書いてることは置いときます。


もともと週一noterだったので、またそのペースでおかしな話を書くのもいい。noteのお題に挑戦するとか、放課後ライティング倶楽部のヤスさんたちが挑戦する宣伝会議賞に挑戦する手もある。他にも公募はいろいろだ。


ただ何でもできると思うと何にもできないですね。ここは初心を思い出そうと考えたのですが、はて初心はどこだったろう。書くことを意識したタイミングは3つ思い出せる。


最初は小学生のとき。架空の地図をもとにして自由にお話を書く機会があった。うろ覚えだけど、夏休みの課題だった気がする。面白いことをやらせる小学校だ。書いた内容は思い出せないけど、前のめりで取り組んでた。お話を書くということ自体に惹かれた。続かなかったけど。


二つ目は就職活動のとき。流行りの自己分析のため、自分のことをノートに書き綴った。5、6冊か、もっと書いたんじゃないかと思う。必要だったのはそうだけど、この頃はいろいろしんどかったので、書いて何かが分かったら楽になれるのでは、なんて気持ちもあった。


最後は2年半くらい前。放課後ライティング倶楽部に入って、Twitter(当時)の毎日投稿をはじめた。書くことで、何か積み上がるものが欲しかったんだった気がする。


さて思い出してみたが、どうもピンとこない。ところでどうしてライラン参加したんだったか。やっぱりどこかで「書きたい」と思っていたからだ。今さらではある。


そしてなぜライランが、66日間、すべておかしな話になったのか。これは自分の中に、それを良しとする下地がなければできなかったはずだ。考えてみたらその理由はもう書いていた。くだらない日常が素敵という話だ。


3月に資格試験があるので、それに向けて勉強した内容を書く?それはnoteでやらなくてもいいや。


上に貼り付けた記事で書いたとおり、やっぱり普通じゃない普通、日常が気になっている私です。そのためにできることはやりたくて、くだらないことを楽しみたい。


なんだこれまでどおりだなと思いつつ、表現の幅を広げるとか、自分について改めて書いてみるとかにも興味がある。人の紹介だったり感想文だったりも。小説はちょっとまだ想像できない。


以前と比べ、書くということに対しての見え方、感じ方が違ってきた気もする。書いてる人に比べたらたった66日の連続投稿でしたが、少なからず影響があったようです。


とはいえ結論は大した話ではありません。書けること、書いてみたいことを試すというだけです。あとはもっと古典や物語を読みたい。


技術とか書いた量とかとは別に、書くということに対する意識とか視点とかいうものがあると思うのです。


その点、まだまだ深みや拡がりがあると感じる今日この頃。伸び代大きい私です。明日は何を書きましょう?明日の私に聞いてみます。


それでは今日はこの辺で。ここまで読んでくださり恐縮です。


そういえばライラン後、路地裏に迷い込んだ夢を見ました。残念だけど内容は覚えてません。なんのはなしだったのか非常に気になります。


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