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4月になると何かはじめたくなる僕の話


「ちょっと聞いてほしいんだけどー!」

彼女に近づくと、そんな声で迎えられる。
流れる音楽とざわめきが、適度に声を隠してくれる……
はずなのだが、彼女の声はそれらを圧して店内にひびいた。


本人も気づいて、声を落とす。
ただ勢いはそのままに話を続けた。

いつものことなので僕は気にせず、
ゆっくりとコーヒーを手に取った。


彼女は今年、地元の企業に就職した。

僕はといえば、理系の大学院に進学し、
あいかわらずの日々を送っている。
毎日皿よりビーカーを洗っている。


「確かにちょっと忘れてて、
 私のミスだったんだけどさー、
 言い方があると思うんだよねー」


だそうだ。
30分くらい適当にあいづちを打っていると、
だいたい満足してくれる。


「ねーどう思う?」

「そうだなー、もうちょっと言い方を考えてくれるといいよなー」


今日は20分で一息ついた。
彼女がコーヒーに手を伸ばしたところで、
僕は自分の話をはじめる。


「研究室でさ、豆からコーヒー淹れられるようにしたんだわ。
 道具買ってきて、そんで皆にふるまってんの」

「え、ホントにはじめたんだ」

「はじめたよ。
 それがさ、サーバーってあるんだけど。
 あの、落としたコーヒーを入れるやつ。
 
 最近ビーカーみたいなカタチのがあって、
 研究室のと似てるなーってずっと思ってたの。

 そんで今日は研究室のビーカーをサーバーにして
 コーヒー入れてみて、意外とサマになっててウケた」


また変なことを、という目で見られる。
4月、立場が変わって、僕にも変化があったのだ。


「あれ、そういえばカフェバイトはじめたのは
 去年の4月だったっけ。コーヒーだカフェだって
 言い出したのも、その前の4月だった気がする」

「4月はいろいろ変わるから、何かはじめたくなるんだよ」

「えー逆じゃないのー。
 変わったらバタバタするんだから、
 もっとバタバタになるじゃん」

「いやそうだけどもね」


昔から、4月になると何かはじめたくなるのは自覚している。
自分の首を絞めるかも、と思ってもはじめてしまうのだ。


「来年はじゃあ何はじめるんだろうねー」


笑いながら言われて、僕は考える。
4月はいつも予想外。
前もって予定を立てているわけではないのだ。


でもふり返ってみると、結局つながっていることに
自分で驚いたりもする。

将来はコーヒーの研究……からの、
カフェオープンなんて道もあるのだろうか。

「えー、そうなったら今の仕事やめて、
 カフェで一緒に働くわ」



次の年、僕は運動不足を気にしてダンスをはじめた。
その次の年は、スイーツをつくるようになった。

歌って踊れるコーヒー屋…
なんて妄想をしながら、今日も僕はステップを
踏みつつ、ビーカーを洗っている。


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