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My body my choice

 会社員を辞めて、ヨガのスタジオを始めたのが2012年。インストラクター資格を取って半年も経たない頃でした。
 今考えると恐ろしいことですが、当時は自分がスタジオでどんなことをやりたいか、スタジオに来てくれた人にどんな風になってほしいか、というようなことを明確に持っていませんでした。
 そんな見切り発車でのスタートでしたが、幸運にもテナントを借りて固定の場所でレッスンをする期間を持つことができました。そこでたくさんの人に出会ったり、A-yoga(Aヨガ)を勉強したり、デモや抗議に足を運んだりしているうちに、わたしは「身体の自由」のためのボディワークをやりたいと考えるようになりました。

 「身体の自由」という言葉から何を思い浮かべますか? 柔軟性? 操作性? 難しいヨガのポーズがとれること? 好きな服が着こなせる体形? etc...
 「身体の自由」は広い意味を持ちうる言葉ですが、わたしにとっては、自分の身体を自分が所有しているという感覚を持てること(=身体所有感覚)です。
 快適に呼吸ができる、身体の部位の位置と動きを認識できる、五感が働いていて周りの環境に適応できる、自分の感じていることを表現できる、自分はここにいるのだと感じられる、そんな時に自分の身体は自由だと言えるのではないかと思っています。

 この身体所有感覚は、A-yogaが大切にしている概念でもあります。
 A-yogaは動作を通じて脳との会話を試みます。身体を動かす刺激が感覚神経から脳に伝達され、脳では伝達された刺激の情報を統合し、身体が反応する、それを脳との会話と呼んでいます。
 その会話により脳の中に出来上がっていくのは身体のイメージ、自分の身体の地図です。会話を重ねて自分の身体の地図の解像度が高まるほど、身体所有感覚も確かになります。正確な地図を持っていれば、身体を思う通りに動かせるようになります。
 自分の身体や動きのイメージを持っているということは、自分を構成する要素の一部を把握できているということです。それは自分がどんな人間なのかという輪郭を描く助けにもなります。

 サービス残業を強要された時、駅でわざと肩を当てられた時、長時間の労働、性差のある給与体系、職場での足に合わない靴の着用の強要、セクシャルハラスメント、妊娠出産を当然の義務のように言われること、そういう不公正を受け入れてしまった時、わたしは自分の一部が欠けてしまったような気持ちになります。
 その時に踏みつけられているのは、わたしの「身体の自由」です。踏みつけにされたままで動くのは、非常に苦しいことです。そのような理不尽にあった時に、その場から逃げることも含め、自分を守るために動くのに必要なのは、自分の身体を自分が所有している感覚だと思います。

 tataはA-yogaで快適な身体を手に入れてもらうためのお手伝いをします。あなたの身体の地図を明確にし、身体の所有感覚を高めます。
 身体を動かすことを通して、あなた自身を映し出す鏡のような存在でありたいと思っています。

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