見出し画像

#46 ヴィーガンなのか、ビーガンなのか

1月11日。月曜日。祝日。現在深夜4時。このところ、本当によくない。堕落しきった日々を過ごしている。反省。反省に反省を重ね、猛省です。

どうやったら負の生活リズムから抜け出せるのか、わからん。こういうときはいっそのこと、全破壊した方が立て直しやすいのかもしれない。というわけで今日は徹夜中。諸々の予習を解消したりなど。頑張るぞ。

今日も全然書くことが思いつかないのだが、一応、ちょっとした小話だけしておきます。今日のは短いよ。今日は読み返さず投稿するので、多少めちゃくちゃな文章でもお許しください。

今日の記録

1日中だらけすぎていて、公にできるものではありません。秘匿します。反省しています。

ヴィーガンなのか、ビーガンなのか

ここではもうおなじみの話題であるけれど、僕は先月から菜食主義の実践に取り組んでいる。肉や魚を避け、野菜や穀物中心の生活を送ろうというもの。

なぜという理由も何回か書いてきたが、ぶっちゃけると「欧米のリベラルは菜食への関心が強いのに、日本ではそうではない。僕ぐらいは率先してやってみよう」という具合。具体的には、「我々はむやみに動物に苦痛を与えるべきではない」という主張であり、「減らせるような苦痛はどんどん減らしていきましょう」というものになる(菜食はその行動の一種)。

この実践を始めてからは、世の菜食の話題にもアンテナを張っている。いろんな人のブログや本を読んだり。で、そこで気になるのは、表記的に「ヴィーガン」なのか「ビーガン」なのか、ということ。どっちでもよくない? とか思われるかもしれないが、自分で書いたりする分には、どっちにしようか悩んだりする。

もとの言葉はveganであるため、発音的には「ヴィーガン」が正しいと思う。のだが、vegetalianのことは「ヴェジタリアン」ではなく「ベジタリアン」と呼んだりする。そこを考えると、統一させるなら「ビーガン」やなと思ったり。

調べてみたら、↓のサイトで、「ヴィーガン」が正しいと思うよという説明がされていた。

 英語の感覚のある方の殆どが、「ビーガン」の表記には かなり違和感がある、不自然である と指摘する。「ビー」の表記では [ví:] の音を連想できないからだ。
 …なお、「ヴィーガン」と表記するなら、ベジタリアンを「ヴェジタリアン」と表記すべきという主張も見られるが、これには根拠がない。同じ「v」で始まる英単語は一緒に扱わないといけないというカタカナ英語の発想自体に無理がある。そもそも「ヴィー/ビー」の音と「ヴェ/ベ」の音は大きく違うからだ。むしろ「ヴェジタリアン」より「ベジタリアン」の方が原語に近い音となるし、「ベジタリアン」で十分に通じる。

らしいです。「ヴィーガン」と「ベジタリアン」で無理にカタカナを統一させる必要はないとのこと。これからは僕も自信をもって、ヴィーガンの表記で行きたいと思います。

・・・のだが、個人的に一番しっくりくる言葉は、ヴィーガンでもビーガンでもなく「菜食主義」だったりする。というのも、自分のやっている実践は、○○主義と呼ぶにふさわしい主義・主張があるように感じるため。例えば「動物の苦痛を減らすべし」などなど。

「ヴィーガン」とは、肉・魚・卵・乳製品を摂らない人たち全般を指してそう呼ぶが、そこでの動機や目的は一様ではない。皆が皆、なんらかの主義・主張を持っているわけではないということ。ここでの主義・主張とは、「〜〜すべし」という規範的言説のことを指す。例えば、「動物を食べるべきではない」だとか、「動物を殺すことは悪いことであり、やめるべきだ」というもの。

ヴィーガンになる人には、菜食の方が健康によいからとか、肉を食べることにトラウマがあるからという人もいる(後者の理由はよく見落とされているのだが、重要だと思う)。というか、そうした人たちの方が多数派である。こうした人の場合、「肉を食べるべきではない」という主張よりむしろ、「肉を食べたくない」という感情の方が大きいと思う。ので、主義というよりは、嗜好などと呼ぶ方が適っていそう。

個人的には、”ヴィーガン”とは、広く「肉を避ける」という実践をしている人たち(理由などを問わない)を指し、そしてその中でも、とりわけ何かしら主義・主張、思想・信条を持って実践している人たちを”菜食主義”と表すのがしっくりくる。僕は主義・主張を持っているので、自分のことは積極的に「菜食主義者」と表していこうと思う。こっちの方がかっこいいしな。

*追記(0117)
よくよく考えてみたら、倫理的な主張を伴うヴィーガンには、ちゃんとエシカル・ヴィーガンという呼称が与えられていた。他方、健康面でヴィーガンになる人はダイエタリー・ヴィーガンなどと呼ばれる。↓を参照。

動物の命の尊重から実践することをエシカル・ヴィーガン、専ら食事面のみで実践するのをダイエタリー・ヴィーガンと呼ぶ。

・・・といっても、やっぱり個人的には菜食主義という呼称が一番しっくりくるため、今後もこれを使い続けると思う。

毎回感じることではあるが、ヴィーガンの議論はややこしい。ビーガンなのかヴィーガンなのかというところもそうだし、単なる食習慣を超えて、環境問題だとか、人種差別・性差別、フェアトレードや国際的な飢餓の話にもつながってくる。ただ「食肉を避ける」というところから、本当にいろんな議論が展開する。追っかけるのが大変だ。

こういうのを、最近はインターセクショナリティintersectionalityと呼ぶとかなんだとか。これは今かなり熱い概念らしいので(僕調べ)、みなさんも追っかけていきましょう。僕もできるだけ、今日みたいに調べた情報を発信して行こうと思います。



スクリーンショット 2021-01-12 5.10.02

1月5日の長岡駅。地元は寒いときはいつも曇りなので、京都は寒くても青空が見えるのがとても違和感。