『太陽の家』が別府発祥の理由を感じる。

昨年NHKで放送していた『太陽を愛した人』の再放送がBS1でやっていた。

日本でいち早く、障害者が自立した生活を謳歌できるようにと設立された「太陽の家」は大分の別府にある。

中村裕博士が魂を賭して設立した、というのは一番大きいが別府という土地柄もあったのだろうと思った。

昔からの湯治場で、病気や傷付いた人を受け入れてきた。つい7年前まで、原爆センターという被爆者のための湯治保養施設もあった。

湯治の間に使う竹籠などの日曜品の需要があり、そういった物を身体が不自由な人が作ったりして生計を立てていた。その流れもあって、今も別府では竹細工が全国的に知られている。

現在では、APU(アジア太平洋立命館大学)があるので街中ではさまざまな国からの留学生が暮らしていて、飲食店でアルバイトもしていたりする。

事情のある人もみんな受け入れて、

「とりあえず温泉にでも浸かりなよー。」

という間口の広さがある。

肩身狭い思いをして生きている人たちが、やって来て温泉に入りながらのんびり楽しく暮らせる。

そんな多様性を許容する場所が、日本のどこかにあってもいいんじゃないかと思う。

少なくとも、別府では可能じゃないか


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