見出し画像

交換を成立させる謎の力

「文芸春秋」4月号に、「賞金1億円の使い途」というタイトルの、柄谷行人インタビューが載っている。「哲学のノーベル賞」たるバーグルエン哲学・文化賞を受賞して、その賞金が100万ドル(約1億4千万円)だというので話題になっているのだ。
柄谷行人は「この取材が来たのも、その(賞金額)の力でしょう(笑)」と笑いを取ってから、「文芸春秋」読者向けに噛み砕いて、「交換様式論」を説明している。

以下、引用。
『物と物との交換は簡単に実現することではありません。マルクスは<交換は共同体と共同体の「間」で始まる>と書いています。つまり交換とは共同体の内部ではなく、本来、見知らぬ不気味な他者との交換であり、それが成立するためには相手に交換を強制するような「力」が必要なのです。マルクスはその「力」を「フェティシズム」(物神崇拝)と呼んだ。』
『コミュニケーションとは、お互いを見通せない中でなされる不透明なもので、それが成立するにあたって、個人の意識を超えて「人間を突き動かす謎の力」が働いている。(中略)そして、その鍵は常に「交換」にあった。』

ものごとを噛み砕くとはそのキモの部分を(精緻さ厳密さを犠牲にして)直感的なわかりやすい言葉で表すことだが、上の引用で「謎の力」と言ってしまっているのは、まさにそれ。
もっとも、近著「力と交換様式」で「観念的あるいは霊的な力」と言っているのも"なんだかわけのわからない力"と言っているようなもんだから、大差ないかも知れない。
それでもその「力」は確実に実在し、定住を始めてから1万年間、世界史を駆動する原動力となって、人類を翻弄し続けてきた。

ではこの圧倒的な「謎の力」はいったいどこから来るのか?が次の問いとなる。「文芸春秋」インタビューの中ではそれは問われていない(「謎」のまま終わっている)のだが、「力と交換様式」でなされている説明を要約してみよう。

一言で言えば、「謎の力」は原遊動性Uから来る。
ヒト(人類)のデフォルトである遊動バンド社会は、平等で自由な(=獲物は全員で分けあう。もしそのバンドで嫌なことがあればいつでも離脱できる)言わば「無機質」な状態であった(これが原遊動性U)。だが定住したことによって様々な葛藤と対立が生じ、自由と平等が損なわれ、言わば「有機的」な状態となった。この未曽有の危機に出会ったとき、無機質の状態に戻ろうとする「死の欲動」が発動した。それは先ず、他者へ向けた攻撃欲動として奔出したが、さらにそれを抑えると、他者への譲渡=贈与を迫る「反復強迫」があらわれた。それは「霊」の命令として感受された。
この有機質から無機質に戻ろうとする「死の欲動」=すなわち定住社会から原遊動性Uへ回帰しようとする衝迫こそが、「謎の力」の正体である。それは交換様式Aをもたらし、B及びCを経たのちは、交換様式D(交換様式Aの高次元での回復)としてあらわれる。

以上の説明で「力の謎」は解けただろうか? 恐らくは柄谷行人自身が未だ大きな「謎」を抱えているだろう。
『私はこの「謎の力」を、十代の終わり頃から、一貫して考えつづけていたということになりますね。』と、このインタビューの中で柄谷行人は述懐している。長年の思索を経て獲得した「力」という概念を、「文芸春秋」読者向けに噛み砕いて説明しようとして「謎の力」と口走ってしまったことが、そのことを示しているだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?