普通×普通=異常!?って考えたら楽に情緒的にいられた件

「普通だったら○○だよね!」「○○するのが普通だよ!」会話の中でよく耳にする言葉。そんな言葉が耳に届くと酷く落胆する。

普通という言葉は当たり前の様に汎用的に使用されているが、生きているフィールドが異なれば、価値基準や概念は異なるのはごく自然な事だと思う。

よって、普通とは「文化的環境や生活背景に依存する観念」だと理解している。これはラジオ配信でも表現してみた。

そう考えると、自己の普通は他者とは共有できない事が前提となってくる。

だからこそ、共有できた瞬間は感動する。絶対的に違うからこそ。

普通という言葉に納得するより、その人の背景にある環境や生活を理解したいものだ。

それが人に対しての知的好奇心であり、相手を理解するという事ではなかろうか。その人の表面性ではなく、その人自身を知りたいが為に、言葉を伝えていくと考えると、少しワクっとするのだ。

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