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いわき駅前のまちづくりについて その2(公共空間編)

前回の続きです。
https://note.com/tatakiagejapan/n/nb48ed6535f93


いわき駅前のまちづくりについて、なぜ空き店舗が埋まらないのかという話の解決策の1つ目は、「今の需要に合わせること」、2つ目は、「需要自体を増やすこと」と書きました。1つ目については前回を見ていただくとして、2つ目は、人がたくさん訪れるエリアになり、いつでも商売をやりたいという人がいる状態にいかにするかという話です。

もちろん1つ目の解決策によって、点として1つ1つ空き店舗が埋まってくることで、エリアが徐々に活気づいていきますが、それと平行してやるべきことは、個々の建築ではできないことを、まちという集合体でどう実行するかという話です。そういう、まち全体としてやるべきことについて今回は書いていきたいと思います。

以下は、私が現時点で有効だと思うものです。他にも手法はたくさんあるでしょうから、あくまで私見としてお読みください。

まずは、公共空間を小さく活用していくこと
まちには、ルールばかりが厳しくなってしまい有効活用されていない公共空間がたくさんあります。屋外空間では、道路や歩道、公園、緑道、広場、河川、港湾、ペデストリアンデッキなどです。建物としても図書館やら公民館やら学校やら、ほんとうにたくさんの公共空間があります。
これらの公共空間は、都市空間の50%もの面積を占めているとも言われています。これらが人が時間を過ごせる居心地のよい楽しい場所に変わるだけで、まちへの効果は絶大です。いくらお店単体が賑わっていても、一歩お店から出たら、座る場所もない、緑の木陰もない、ただ、通り過ぎる通路のような公共空間が広がっているまちでは、まちの半分は死んでいるのと同じです。そんなまちでは、足早に次の目的地に移動するしかありません。しかも今のまちなかは、駐車場ばかりで、歩いても疲れるだけで何も面白いことは起こりません。だから、人はまちを歩かないし、点々と離れた場所にある目的地にだけ行きたいから車で移動した方がよくなってしまう。それが、さらにまちに駐車場をつくることを助長し、余計にまちが面白くなくなっていく。

行政側とすれば、まちに活気がないのは、空き店舗があるからだ、空き店舗が埋まれば、人が歩くだろうというロジックで、公共空間はそのままに、民間に頑張らせようという施策が多いですが、まちは民地と公共空間の総体ですから、公共空間も良くなることが必要です。両方良くなって、はじめてまちとしての魅力が上がってきます。

さて、公共空間が有効活用されていないのには、それなりに理由があるので、それを一つ一つ解きほぐしていくことが求められます。しかも公共空間は、行政の色んな部署が個別に管理しているので、それぞれの事情に合わせた対応が必要です。

例えば、お店の前の広い歩道の一部をテラス席のようにはみ出して使えるようにできたらいいですよね。イタリアのカフェテラスとかのイメージです。それをやるには、日本では、歩道には看板ひとつ出すのにも本来は道路課からの道路占用許可が必要だし、交通事故を防ぐ観点から警察との協議や道路使用許可も必要です。でも、国交相でも、まちづくりのために道路や歩道を活用することは後押ししていて、地元と行政のやる気さえあれば可能です。さらにコロナ禍で疲弊する飲食店を後押ししようと、国交相では、さらにやりやすいように制度を整えましたよね。それを、まずは、やる気のあるお店と連携しながら、そのお店の前だけの小さなスペースから始めるのがいいと思います。

また、例えば、公園をもっと緑豊かで自由に使えるようにすることです。公園は、一部のクレーマーや迷惑行為のために、どんどん禁止事項が増えていって、ボール遊びすら自由にできない状況が生まれています。さらに、人口減・税収減の中で、どうにか管理費用を減らそうと、問題が起きないように人が集まらないようにしようとか、木を一本も生やさないとかいう極論が、実際に、私が関わった公園でもありました。でも、そんなものはもはや公園ではありませんよね笑。公園は人が集まるからこそ価値がある。
人が訪れる公園がまちにあるだけで、周りのまちは活気づいていきます。それを、公園単体で稼ぎつつ収支を合わせるパークPFIのような手法も最近多いですが、もし仮に公園単体で見たときには経費がかかって赤字でも、まち全体でみたら、人口が増えたり商業が活気づくことで税収が上がってプラスになるような投資としての発想も必要ですよね。また、ルールでがんじがらめの状況を変えるには、地域の人が公園協議会を組織して、自分たちの責任のもと、独自ルールをつくるという方法もあります。

他にも、たくさんの公共空間が、それぞれの行政の部署で管轄されているので、事情に合わせて、使い方やあり方を見直して、人が訪れたい、使いたい、過ごしたい、座りたいという状況を街中にひとつずつ増やしていくことです。

そして、もっと根本的な解決策は、道路の歩行者空間化をすることです。
これは、完全に車を排除して歩行者専用にするパターンから、車道を狭くして歩道を広げたりするパターンまで様々ですが、まちから車のスペースを減らして、代わりに快適な歩行者空間をつくる。これこそが、今、世界と日本の進んだまちで行っていることです。

いや、車社会の地方でそんなことやったら、まちに誰も来なくなってしまうと思った人は、少し我慢して読み進めてください。

そうです。地方は、1人1台の車なしでは生活できないくらいの車社会になってしまっています。どこに行くにも自家用車。それに対応するように、何十年もかけて、中心市街地でも道路を広くし、店の前には駐車場をつくり、それでも足りない駐車場需要に、それぞれの地主が個別にバラバラと駐車場をつくってきました。そうして形成されたのが、今の駐車場だらけの中心市街地です。

でも、郊外は、土地が安いので駐車場も広く取れるし、より広い道路で車でもっとアクセスがしやすいわけで、地価が高く狭い中心市街地が同じ土俵で戦っても勝てるわけがない。そして駐車場だらけなので、歩いても何も楽しくもない。そんな中途半端な状態になってしまったのが今の中心市街地です。

本当は、車がどこまでも入れるようにするのではなくて、車の利便性を制限してでも、歩いて楽しいという状況こそが守るべき価値だったけれど、それが失われてしまった。地方都市においては、車で中心部まで来やすいということ自体は正しかったけど、駐車場を計画的に配置し、歩いて楽しめる区域を意識的に守らなければならなかった。中心部においてまで、どこまでも車優先にまちを作って来てしまった。
ただ、全国どこのまちでも大体この状況なので、当時としては、それが正しいと思われてきたけど、実は結果として間違っていたということです。
今でも個別最適化をするしかない地主さんは、とりあえず駐車場にでもしておくかとなり、どんどん駐車場が増えていきまちの魅力がなくなっていく負のスパイラルに陥ったままです。

話は変わって、郊外のイオンになぜ人が集まるかというと、車で簡単にアクセスできて、車から降りれば、快適な歩行者専用空間になっているからです。連続するお店を脇目にウインドーショッピングする空間体験は、それなりに楽しい。トイレも綺麗だし子供連れでも安心して歩ける。でも、イオンが大好きかというとそんなことはなく、近くにイオンしか快適な歩行者空間がないからイオンに仕方なく行っているだけです。しかもイオンですら、最近は、ネットの影響で苦戦していますから、まちなかは、さらに上をいかないといけないんです。消費者もバカじゃないですから、そこにしかないものや体験にしか、その場でお金を使わないようになっています。でも、それこそが、中心市街地の戦うフィールドです。そこにしかないものが買えたり体験ができる、ナショナルブランドもあっていいけど、地元にしかないものも、よく分からないものや雑多なものや猥雑なものまでが、多様性をもって存在している。メインストリートから裏路地まで、そういう多層性があるのが歩いて楽しいまちです。

それを根本で支えるのが、快適な歩行者空間です。車でもアクセスしやすいけど、車から降りたら、快適な歩行者空間が広がっている。この構成をイオンは郊外に1つの企業がドンとつくりますから簡単にできますが、これを無数の地権者がいる駅前でやるのは大変です。この道は、歩行者専用にしつつ、その1本裏の道は車で来れて駐車場があるということをまち全体で合意形成して開発の誘導をしていかないといけません。駐車場オーナーなど、一次的に不利益になる人たちもいます。自分の駐車場に入れないじゃないか、民業圧迫だみたいな声も当然出ます。でも、駐車場は、他に選択肢がないから仕方なくやっている地権者がほとんどですから、まちを変革してエリアの魅力と地価を上げていくんだという話は、長期的にはメリットがある話です。なので、説得できないことはありません。大変ですが、こういう施策をやらない限り、根本的なまちの構造は何も変わりません。

この調整は、途方もないことで何十年もかかるだろうと思いがちですが、近年、それを短期間で成し遂げたのがニューヨークです。タイムズスクエアは、慢性的な渋滞と交通事故スポットでしたが、2009年に一夜にして歩行者専用空間化されてから、周辺の地価は3倍になったそうです。大事なのは、小さな社会実験から始めて、目に見える効果を元に合意形成をしていくことです。そして、世界でも日本でも、進んだまちでは、同様の手法でまちを変革し始めています。

ちなみに道路は、渋滞を緩和しようと広げると、余計に渋滞するというパラドックスがあります。みんなが通りやすいだろうと集まってしまうからです。また、本当にまちに用事のある人は一部で、用事のない抜け道的に使っている通過交通が多いという調査をしているまちもあります。先にあげたニューヨークなども、まちに用事のない通過交通がどれほどかという調査をしています。まちに何の貢献もしない通過交通のために、いつまでもまちが閑散としていては、なんの意味もありません。

そもそも、行政はコンパクトシティを謳いながら、郊外の開発規制をぜず、今でもスプロール化を進めています。郊外の開発は、戸建住宅のニーズがあるので止められないのは、百歩譲って目をつむっても、だったら、中心市街地を歩行者空間化していく施策くらいやったらどうですかと思います。どちらもやらずに民間にだけまちづくりを任せる姿は、面倒なことから逃げて簡単なことばかりをやって問題を先送りしているだけに映ります。でも、今やまちなかの歩行者空間化は、世界中、日本中の進んだ都市から始まっている話ですから、取り組むのが早いか遅いかだけになりつつあります。

人口が増えれば、人がまちを歩くだろう、買い物客が増えるだろう、需要が増えるだろうというロジックで、いわき駅前の再開発では大型のマンションも建設されています。しかし、魅力のないエリアのままでは、マンションに住んでいる人も車で郊外に出かけた方が、便利で選択肢も多いという話になりますから、人が住んでいることと、まちに出て歩いて買い物したりすることはイコールではありません。あくまで、歩いて楽しいという状況をつくらない限り、何の解決策にもならないのです。

さて、駅前の空き店舗はどうすれば埋まるのか?という切り口から、2回に分けて、まちをどうすればいいのかを書いてきました。行政が重い腰を上げくれることも期待して厳しい意見も書きましたが、大事なのは、民間の人がきちんと声をあげることです。まちに人が歩いて一番嬉しいのは、そのまちに不動産を持っている人、そしてまちで商売をしている人です。行政もまちの50%を持つ不動産オーナーですが、個別の職員は、まちが潤っても給料は上がりませんので、自ら動くインセンティブは低い。なので、行政にだけ期待するのではなく、民間の利害関係者から動かない限りまちは変わりようがありません。もちろん、不動産を持っておらず商売もしていない人にとっても、自分のまちに活気があるのは嬉しいことですが、別に賑わいがなくても本来困りません。嫌ならまちに来ないか引っ越すだけですし、だから若者はまちから出て行きます。(もちろんまちの状況だけが要因ではありませんが)

利害関係のある人たちが、自分の財産の価値を維持・向上させるために動くのが、一番自分ごとになり継続性があります。そういう人たちが、自分の不動産を空き店舗のままにせず、きちんと需要に合わせて活用していく。そして、不動産オーナーたちが力を合わせて声を合わせて行政にしっかりと働きかけていく。そうすることで、行政の人たちにも本気が伝わりますし、市民の強い要望があることには耳を傾けてくれます。また、政策を実施するときにまちの協力が得られることも伝わります。そうして初めて、公共空間も含めて、大きくまちの構造を変えるということまで実現ができるのです。

まちづくりは行政がやるものだと、現状に文句ばかり言って、自分以外の人がリスクをとって何かしてくれるのを、ただじっと待っている不動産オーナーや商業者ばかりのまちは、結局、何も変えられないし、自分たちの持っている不動産もまちの価値もどんどん下がって共倒れになっていきます。

そもそも、私が住むいわき市では、2060年までに人口が今の32万人から16万人程度に半減することが予想されていて、人口統計はまずハズレないので、この状況は間違いなく訪れます。つまり、消費者自体が半減するのです。そんな中でもまちに活気をつくり維持しようとするなら、個別の不動産を変える努力だけでは間に合わないので、少なくなる人口でも集中的に人が訪れてくれて商売が成り立つようなまちの構造に変えていかないといけません。つまり、これまで述べてきたような、今の需要に合わせること、需要自体をつくること、どちらも今から始めないといけない対策だとご理解頂けたら嬉しいです。

どうか、心ある行政マンや不動産オーナーや商業者に、この文章が届けばいいなと期待して、今回の投稿を終わりにしたいと思います。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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