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シルクロードは強靭な使命感により生まれた

月氏との同盟
前漢の7代皇帝・武帝は匈奴(現モンゴル周辺地域を支配していた部族)の侵入に悩まされ、匈奴への対処が課題となっていた。そんなとき、月氏が匈奴に敗れソグディアナ(現ウズベキスタン周辺)に逃れて匈奴への報復を考えているとの情報を得た漢は同盟のため、張騫を使者として月氏へ送ることにした。

2度に渡る拘留
月氏への使者一行は匈奴領内を通る必要があり、案の定張騫は拿捕される。拘留は10年にも及んだが、厚遇されており妻を娶り子供も生まれた。しかし張騫は使命を忘れておらず、隙を見て逃げ出し月氏へと向かった。到着したのは大宛(現ウズベキスタン周辺)であり、大宛は張騫を快く歓迎し道案内と通訳をつけて月氏へと送った。しかしこの時の月氏王は張騫の要件を聞いたが、やむなく移動してきた現在の土地が豊かで国家は安泰しており、すでに復讐の心は無く、漢が遠い国であることもあり、同盟を組むことはなかった。張騫は1年余りで帰途に着き、その道筋でも匈奴に捕まり拘留の身となった。

貴重な西域探検
張騫は1年後匈奴の後継者争いに紛れ、13年ぶりに漢に帰還した。本来の同盟締結の使命は果たせなかったが、貴重な西域情報をもたらすことができた。その後、張騫は対匈奴の先導役として従軍し活躍したが前121年、道に迷い李広軍との合流に遅れ李広軍が全滅する失態を犯すと、庶人に落とされる。たがのちに国事に復帰し、功を上げ出世している。

おわりに
張騫が西域の情報をもたらしたのをきっかけに、漢と西域世界との交流が増え交易が盛んになり、張騫の交通路はシルクロードと呼ばれるようになった。月氏との同盟締結という強靭な使命感が、思わぬ副産物を生んだのであある。

参考資料
史記・春秋戦国人物事典 瀬戸慎一郎 他 新紀元社

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