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フランス革命を促した詐欺事件

ダイヤモンドの首飾り
1785年、当時フランス王妃マリーアントワネットはジャンヌ・ド・ラ・モットが企てた詐欺事件に巻き込まれた。
1772年、国王ルイ15世は愛人のために宝石商に首飾りを製作するように命じた。製作には数年かかり、合計2800カラットのダイヤが使われ宝石商は破産しかねないほどのリスクを負うものであった。しかし、完成したころにはルイ15世は亡くなり、愛人もルイ16世に追放されていた。宝石商はマリーアントワネットに売ろうとしたが、断られた。

ラ・モット夫人
ジャンヌ・ド・ラ・モットはフランスの成り上がり者で夫の二コラ・ド・ラ・モットと伯爵及び伯爵夫人を自ら称していた。ジャンヌは宝石商が首飾りの買い手を探していることを聞き、首飾りを自分のものにするため詐欺を企てることにした。
当時、ジャンヌの知り合いのド・ロアン枢機卿はマリーアントワネットから疎まれており、関係修復の機会を伺っていた。1784年ジャンヌは枢機卿に自分がマリーアントワネットのお気に入りと信じこませ、王妃宛の手紙を書かせた。ジャンヌは共犯者を使い王妃の返事を偽装し、手紙のやり取りで枢機卿に王妃と愛し合っていると勘違いさせた。枢機卿が王妃との面会を求めたときは、娼婦を雇う抜け目のなさである。

詐欺の発覚
枢機卿の信頼を勝ち得たジャンヌは、王妃は例の首飾りを欲しがっているが民衆が飢えている中では、公けに買い物ができないと枢機卿に話を持ち掛けた。枢機卿に首飾りの代金の支払いに同意させ、宝石商はジャンヌに首飾りを手渡した。しかし、枢機卿の支払額が不足していたことから宝石商は王妃に不服を申し立てを行なったことにより、王妃と王の耳に入り詐欺が発覚した。

おわりに
裁判により、ド・ラ・モット夫妻は有罪となったがド・ロアン枢機卿は無罪となった。しかし、この裁判により王室の贅沢な出費に世間の注目が集まり王妃の評判はさらに地に落ちることになる。これが数年後のフランス革命を促し、マリーアントワネットはギロチンにより処刑されることになる。ちなみに首飾りは見つからないままだった。
実の被害者はお金を騙し取られたド・ロアン枢機卿とお金が支払われなかった宝石商である。しかし、この詐欺で一番実害を被ったのはフランス王・ルイ16世と王妃・マリーアントワネットである。人間の欲望が思いがけない大きな問題へと発展するいい例である。

参考資料
犯罪学大図鑑 マイケル・ケリガン他 三省堂
とてつもない嘘の世界史 トム・フィリップス 河出書房新社

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