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迷信が実害となった代表例

丙午
丙午(ヒノエウマ)とは日常生活では聞かない言葉である。
だが、聞く人が聞くと悪いイメージがあるという。その悪いイメージとは、丙午生まれの女性は、夫を食い殺すと言うものである。
調べてみると、丙午は干支の1つであるとのこと。干支は十干と十二支の組み合わせであり、十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸、十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥。これらを組み合わせ60を周期で暦として使われた。明治維新後の戊辰戦争も干支が由来である。
十干の丙と十二支の午はどちらも、五行説の火に対応しており江戸時代に丙年には火事が多いという説が広まった。(五行説:万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなるという説)
さらに、その説が発展し丙午の女性は夫を食い殺すという迷信も生まれた。

八百屋お七
この説が、爆発的に広がるきっかけになったのが井原西鶴の著名な事件を題材とした小説「好色五人女」である。好色五人女に恋草からげし八百屋物語というものがある。「八百屋の娘、お七は火事に遭い避難した寺で寺小姓小野川吉三郎と恋に落ちる。やがて、お七は家が再建し寺から出ていくと小野川吉三郎と中々会えない寂しさから、思いつめたお七は、家が火事になればまた吉三郎がいる寺にいけると思い火付けをする。幸いにも火事はボヤで済んだがお七は問い詰められて自白し捕縛され、市中引き回しの上火あぶりになる。」
この小説のお七が丙午の生まれであるところから、迷信が広がることになった。ちなみに、確かにお七という娘が火をつけたが丙午と恋物語は創作である。

迷信の影響
丙午は60年周期で来ると説明したが、直近で来たのは1966年である。この迷信を回避するため行動を起こす人が大勢いた。
1966年は前年に比べ、26%も出生率が落ちたのである。結婚数も前年より1万5千件少なくなった。また、産むことを反対されたり、堕胎するケースも多かったようである。
戦後高度経済成長期の中でも江戸時代からの迷信は甚大な影響を及ぼしたのである。

終わりに
俗信や迷信自体日本文化がよく浮き出ているものがあったり、起源をたどると意外なものが出たりと全て排除はするべきではないと思う。しかしこのように、根拠もない迷信が人を極端な行動に走らせたり、人を傷つける場合がある。丙午は今の現代社会においては廃れた迷信であるが、2026年は丙午であり誰がこの迷信を都合よく持ち出すかわからない。我々は迷信に対し冷静な正しい対応が求められるのである。

参考資料
知って役に立つ民俗学 福田アジオ ミネルヴァ書房
日本史ものしりハンドブック PHP研究所

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