【レベル25】考えるってどういうこと?気づきと学び②
こんにちは。8月も終わりが近づいてきました。
夏の終わりといっているようでなんだか寂しいですね。
さて、今回も前回と同様に細谷功氏の著書『考える練習帳』から学んだことを振り返っていきたいと思います。
前回は以下の3点について書きました。
・知らないことを知っている、知らないことを知らない
・「自責」こそ思考回路を起動させるキーワード
・他人の意見にむやみに従う=考えないのは楽なこと
まだのご覧になっていない方はぜひ先にこちらをご覧ください。
※約1,500字(目安時間:4分)の記事です。
考えることは「常識という言葉を使わない」こと
ざっくり言うと「普通」や「常識」を疑うということです。
例えば上司への連絡をLINEでするのはどうか、という議論があったとします。
新人社員「どうしてLINEでしちゃだめなんですか?」
上司「なんでそんなこと説明しなきゃいけないの?そんなこと常識でしょ」
こんな会話、容易に想像できますよね。笑
常識的な人といえば、人としてあるべき姿といえなくもないですが、この場面での常識とは「これまでもそうしてきたから」とか「規則でそうなっているから」そんな理由が多いのではないでしょうか。
この理由って、本当に理由になっていますか?(自分できちんと説明できていますか?)
実はよく使われる「普通に考えて」「常識的に」などは自分で説明できない場合の逃げ場として使われています。
ここで逃げると新たな発想へとシフトすることができず、思考は止まったままになってしまいます。
LINEがダメな理由はなく、その方が効率が良いのであれば、そちらにシフトするというように見方を変えればいいんです。そういう話でした。
このことから私は常に柔軟に物事を考えていくために以下のことをやっていきたいと思います。
・「普通」「常識的に」という言葉は使わない。
・誰にとっての普通か(自分だけの普通ではないか)、どこの範囲での常識か(理由のない常識になっていないか)を疑っていく。
物事を正しい、間違いで判断しない
正しい/正しくない ということは「だれにとって」正しいのか、「どういう場合に」正しくないのかといった前提条件次第で答えは異なる。
これは意外とできていないなと感じ、同時に思慮深い人(人の気持ちよくが分かる人など)は逆にこれができているから適切な意見が言えるのだろうなと納得した話です。
何かトラブルが発生したときに、その時の対応が正しいか正しくないかだけで考えるのではなく、トラブルが発生した背景を知ることでなぜそうしたのか、本当の問題はどこにあったのかを掴めるかもしれません。
この考え方は、優先順位を決めることや根本的解決にも役に立つ重要な考え方だと思います。
また、必ずしも正解/不正解があるものばかりではありません。
「正解がない」ということは裏を返せば「不正解もない」ということです。
「間違えることが怖い」という思いから自分で考えて行動することが苦手な私も、こう考えれば少し楽になるような気がしました。
さいごに
ローランドがとある番組でこんなことを言っていました。
「才能がないことも1つの才能である。才能がないからこそ仕事に向き合える。」
なんだかすごいこの言葉が響いちゃいました。
才能があれば仕事も人生も躓くことなく歩めるんですよね。でも、それじゃ何も疑うことなく惰性で仕事をすると思うんです。
でも才能がないからこそ、仕事にも向き合って悩んで解決しようとして成長できる。
私も思考力という才能がないからこそこうやって考える力について勉強しようと思えたし、実際そこで新たな気づきに出会うことができました。
なんかそう思うと、いつもより少し前向きになれるような気がします。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
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