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夏の始まりと歪む日常

夏の始まり

おはよう、こんにちは、こんばんは。
暑い。ひたすらに暑い。

北海道は本州の人に比べたら涼しいのかもしれない。
だが、年間の気温差を考えたら北海道も体感は変わらない。
暑いもんは暑い。

窓を開けた時の夏草の匂いも、鳥の囀りで目が覚める朝も、青いっぱいのどこまでも続くように見える空も、その空に佇む積乱雲も大好きだ。

あと2、3日もしたら夏休みに入る。この夏はカメラでその時にしか見えないものをたくさん残そう。

歪みに気づいた時にはもう遅い。

いつからだろうか、同期からの誘いを断るようになったのは。
ご飯行こうぜ。カラオケ行こうぜ。という言葉に「お金ないから」と、平気で嘘をつくようになったのは。

自分には常に目標や、やりたいことが明確にある。その将来像に近づくために、日々の計画も絶対考えるし、その計画通りに過ごす。

それが当たり前だった。でも足りない。まだ届かない。何年続けていても、まだ自分の理想からは、かけ離れていた。

自分が天才じゃないことくらい知っていた。

「天才は才能があるから」ということをいう人が好きじゃない。天才は、他の人よりも少し楽しんでいたり、他の人が1時間やることを2時間やってみたり、週に1回やっていることを、2回、3回と増やしてみるか。と考え、それを実行している。

生まれた時からなんでもできたわけではない。誰よりも継続してきた彼らの努力である。それを「才能」の一言で終わらせているのは彼らに失礼であり、いつまでも彼らに追いつことはできないだろう。

自分には遊んでいる余裕はあるのか?羨んでいる余裕はあるのか?足を止めている余裕は自分にはないことを知っている。自分が弱い・力不足であることを自覚している。

目指している場所にいる人々に少しでも近づくためには、周りが遊んでいる時に自分が進み続ける必要がある。そう考えた時に、活動以外に時間を割けなくなってしまった。決して同期が嫌いなわけでもないし、むしろ人と関わることは大好きである。

ただ、今は自分のために時間を多く使いたい。

生き急いでいる自覚はある。時間がいつまであるかわからないと思うと、毎日が過ぎ去っていくスピード感が恐ろしいのだ。

一度歪んでしまった日常はもう戻すことはできない。

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