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なぜ、こんな記事を書こうと思ったのか!

まだ20代前半で大型バイクに乗り始めたばかり頃、そう就職したばかりの4月ごろだったかな?



学生時代の友人と『第3京浜をパスして横浜新道にある、保土ヶ谷パーキングに集まっているカスタムバイクを見に行こうぜ!』ということで仕事終わりの土曜の夜に集合して、2台で関越高速道路の所沢ICから保土ヶ谷PAに向けて出発した。


当時、自分のバイクは中古の個人売買で手に入れた格安のぜファ−750で、連れはパチンコで手に入れたピカピカに輝いている新車のエリミネーター400だった。


お互い若僧なもんだから、久々の高速道路ではしゃいじゃって、普段よりもハイペースで走行していたんだ。


第3京浜から横浜新道に切り替わる保土ヶ谷ジャンクションで、今でも脳裏に焼きついている光景なのだが、事件は起きた。


横浜新道に入るため左コーナーに減速をするコチラに対して、エリミネーターは何を思ったのか、加速をして右から追い越しをかけてきた。


当然、分岐地点のカーブを曲がり切れるようなスピードではなかった。


追い抜いて行ったエリミネーターは、リアブレーキをロックさせながら、リアタイヤを左右に振るわせ、必死に減速しようとしていた。


が、その努力虚しく分岐点の壁に吸い寄せられていく。
ついには、壁にぶつかりバイクと人間共々、宙に舞った。


慌ててバイクを停め、本人のところに駆け寄った。
『良かった生きている。』
体はどうかと尋ねると、ワインレッドのTシャツなので分からなかったが、濡れている部分は血が染み込んでいる跡だった。



当然119番を要請したいが、残念ながら携帯電話なんぞ持っていない。
しかし、倒れている本人はPHSという携帯電話を持っていた。
そのPHSで連絡をとり、救急車を待っている間は気が気でなかった。
出血もひどければ、しこたまアスファルトに身体をぶつけたらしく、身動きできない状態だし、バイクもひどい状態だ。


ようやく救急車が現場に着いた。
怪我人を乗せて走る救急車を見送り、今度は警察の事情聴取だ。
それが終わり、搬送先の病院へ向かおうと坂道でUターンをするときに、やはり動揺していたのだろう、転けた。


坂で転倒した750は本当に重い。
警官に車体を起こすのを手伝ってもらい、すぐに病院へ向かった。


病院の場所を確認したので、すぐに家族に連絡を入れた。
家族の方々が病院へ着く頃には、朝日が顔を出していたのを覚えている。


かれこれ、30年弱前の話だ。
一瞬の出来事で、楽しいことが悲劇に変わる。
この件に関しては、命こそ無事で半年後には退院して、またバイクに乗れたから良かったものの、最悪の事態になることだってあり得る。


それぐらい、バイクとは危険と隣り合わせの乗り物で、自分の身は自分でしか守れないのだ。


この経験から、5年間は人と一緒にバイクで出かけることはなくなった。


同じような経験を、他の人達には絶対にして欲しくない。
楽しい時間が、いきなりそうではなくなることは辛い。
注意することでしなくていい経験なら、絶対にしないほうがいい。


だから、こんな記事を書こうと思ったんだ。
どんな事があったとしても、全ては自分の自己責任。
バイクとは!
本当に自立した人間が乗るべき乗り物。


乗るからには、覚悟をして生き残らなければならない。



って説教じみてしまったね。


皆さん!ご無事で!



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