見出し画像

新車の慣らし運転8

中でも1番印象に残っているのは、大東亜戦争でのポツダム宣言を受け入れた後に、日本国に侵攻して来たソ連に対する憎しみ、そのために樺太から離れることになったこと。

全てを奪われ、何もかもがなくなったこと。

教科書には書かれていない真実を、今は亡き婆様にいろいろと教えてもらった。

時間というものは残酷なもので、タイムリミットが近づいてきた。

本来の慣らし運転というテーマは札幌で止まってしまったが、あとは帰りの経路で距離を稼ぐことにしよう。

不思議と帰る時は、名残惜しいとか、後ろ髪を引っ張られるというような気持ちや感覚はなかった。

また、フェリーにバイクを乗せて青森港からは国道4号線を通って埼玉まで帰って来た。

おおよそ2000キロの慣らし運転が終わった。

この後、このエンジンは70000キロまでは、順調に距離を延ばした。

それ以降は、1番シリンダーにオイル下がりが発症し調子を崩してしまったが、長寿だと言える。

まだ直せば走れるのだから。

直してなくても、大阪から仙台まで復路2回、往復1回をこなしている。

一緒に苦難を乗り越えた相棒だからこそ、愛着もひとしおである。

事故処理が解決したら、即修理をして復活させたい。

さまざまな記憶を共有しているバイクは、本当に宝であると俺は考えている。

終わり〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?