![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/108426909/rectangle_large_type_2_7ba79c1992258080c8b8c9cc090ba61b.jpeg?width=1200)
新車の慣らし運転8
中でも1番印象に残っているのは、大東亜戦争でのポツダム宣言を受け入れた後に、日本国に侵攻して来たソ連に対する憎しみ、そのために樺太から離れることになったこと。
全てを奪われ、何もかもがなくなったこと。
教科書には書かれていない真実を、今は亡き婆様にいろいろと教えてもらった。
時間というものは残酷なもので、タイムリミットが近づいてきた。
本来の慣らし運転というテーマは札幌で止まってしまったが、あとは帰りの経路で距離を稼ぐことにしよう。
不思議と帰る時は、名残惜しいとか、後ろ髪を引っ張られるというような気持ちや感覚はなかった。
また、フェリーにバイクを乗せて青森港からは国道4号線を通って埼玉まで帰って来た。
おおよそ2000キロの慣らし運転が終わった。
この後、このエンジンは70000キロまでは、順調に距離を延ばした。
それ以降は、1番シリンダーにオイル下がりが発症し調子を崩してしまったが、長寿だと言える。
まだ直せば走れるのだから。
直してなくても、大阪から仙台まで復路2回、往復1回をこなしている。
一緒に苦難を乗り越えた相棒だからこそ、愛着もひとしおである。
事故処理が解決したら、即修理をして復活させたい。
さまざまな記憶を共有しているバイクは、本当に宝であると俺は考えている。
終わり〜
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?