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第6回 若き日の誤読

こんにちは、
今回は街を離れて歌の話で
YouTube見てたらthe Timersの放送事故っていう番組がお勧めで流れてきました。今回また久々にみてはたと気づいたことがあってそのことについて書いてみようかなと思います。
1989年フジテレビの夜ヒットの特番で起こした放送事故そのもは話も長くなるのでみなさんで調べてもらうとして、問題の歌の次にその次にサラッと始めたモンキーズのカバー曲「day dream believer」についてふとネットで調べていて気づいたことがありました。
この歌は何度もCMや映像作品にも使われたのでタイマーズ版も聞き覚えがある人も多いかと思います。POPなメロディにZerryこと忌野清志郎さんが意訳した切ない歌詞がはまって人気なナンバーになってますよね。僕も発売当時から好きでよく口ずさんだりしてました、そういつも、失った=出ていった彼女を思い出し感謝する歌として。
この曲を聴いた当時学生だった僕は、何者でもない自分が何かになれるのだろうかと、ちょうど何がしかの夢を見てるデイドリームビリーバーの主人公に自分を投影してたのかもしれないですね、それで支えてくれてた恋人が我慢できなくって??いなくなった歌として聴いてました。Queenって言葉のモテモテの女の子って語感からもそうかなぁと思ってた原因の一つなんですけどね。そんで、夢見ることに関してはずっと過去形で表現してる、みてたとか幸せだったとか、うちの一回だけ現在形「今もみてる』ってとこがあってこの部分に心揺さぶられてました(今でもこの部分を聞くためだけに聴いてます)。君のおかげで今も夢見てるんだよって、何かになるであろう若者(自分)の希望を表現してもらってると感じてたんだと思います。何者にもなれなないことを受け入れてる今でもここでは懐かしい気持ちになります。
ですが、今回ちょっと調べたら清志郎さんは今は亡き義母(育ての母)のことを考えながらこの詩を作ったらしいのです。今歌詞見ながら聞くと確かに・・

まぁ詩やテクストは読者やリスナーが誤読してなんぼ、というかいろんな意味を内包させた本当にいい詩だったんだなと再確認しました。さぁ、明日は亡き清志郎さんを偲んでデイドリームビリーバー口ずさみながら街を歩いてみるか。

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