第8回 柳宗理と今和次郎

こんにちは、ビブレンスまちと建物担当のタツです。
先週の日曜日に世田谷美術館の「民藝MINGEI-美は暮らしのなかにある」展が会期終了間近になっているの気づいて慌てて見てきました。実は民藝についてゆっくり鑑賞したり考えたことがなかったのでそのきっかけを与えてくれる興味深い展示でした。今回は民藝について感じたことに触れていきたいと思います。
「民藝」は1926年に柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司によって提唱された日本の美の再発見の運動です。当時、工芸界は華美な装飾が施された観賞用の作品が主流でしたが、民藝運動は名も無き職人たちが作り出す日常の生活道具にこそ、真の美があると主張しました。ちょうど時代は工業化が進みいろんな日用品が工場で作られるようになっていました。その中で昔から行われてきた家内制手工業によって生み出される工芸品とそのデザインこそ注目するべきだという運きはアートアンドクラフト運動をはじめ世界中で始まっていましたが、日本ではこの「民藝」が工芸品の再発見を行う主体として活動していきます。
今回の展示を見て回って感じた「民藝」の特徴は作品に対する作家性の強い否定が含意されている点です。美しいものは偶然の力や時間の力でできるものであって、ある個人の恣意性によって生まれてくるものではないと考えてたんだろうなという点です。展示されていた「焼線黒流茶壷」のキャプションには『1925年、柳は近江八幡の古道具屋の片隅で本作を見つけて驚喜した。京都に着くと、自宅に戻る前に河合の家を訪ね、ともに愛でて語り合ったという。‥‥中略‥‥信楽で大量生産されたはずだが、これほどの景色の作は残っていない。柳の数多くの著作の中で語られた「民藝館が誇る蔵品の一つ」』(民藝MINGEI カタログp87)と書かれておりこの作の美の由来は大量生産品であること、釉薬の流れと焼きの入りがたまたま美しかったことであることがわかります。陶芸家と言われる人が作る作には景色が悪いと割られてしまう陶器も数多いと聞きますが、そういった行為はここでは忌避されています。ただしこの時一つだけ疑問が残ります、この作に美を見出す柳の目は恣意性の塊なんじゃないかということです。汎用なものに恣意性を排除した美を見出すという行為は、当然見出す目が必要となりそこの恣意性は排除できないというジレンマが発生してしまいます。そこをどう考えていたのか少し疑問に思ってしまいました。柳宗理の著書を漁らないと解決しないんでしょうが今後の課題にしたいと思います。その時対立軸として頭に浮かんだのが同じく普通の日常品を扱う今和次郎の「考現学」でした。
「考現学」は1927年、今和次郎が提唱した現代の社会現象を場所・時間を定めて調査・研究し、世相や風俗を分析・解説することを目的に、街に出て身の回りの対象に目を向け、記録し、そこにどんな背景があるのか考えを巡らせる学問でした。考古学をもじって作られた造語であり、「モデルノロジー」とも呼ばれています。
今和次郎も民藝と同じように生活に使われる普通のモノに注目しています。そして、街へ出てそれらをひたすらにスケッチやメモで採集して回ります。その視点はフラットで恣意性の入る余地がありません。ただ、ひたすらに見てメモしていくのに邪魔になりますもんね。
美学を目的とした民藝と学問である考現学ではもちろん違って当たり前なんですが、今の暮らしを後世に伝えていくという目的はほとんど同じでも、そこに対する立ち位置がかなり違うなあと言うアイデアが浮かんできたのです。
柳宗理は哲学出身、今和次郎は美術出身というのもクロスしていて面白い対立になってます。
この二人の運動は現在にもつながっていて、民藝は今でも各地の工芸の発掘補助を行っていますし、民藝館として収集展示も行っています。それに世間で首を振ると民藝的な暮らしを一とする一派も必ず身近にいるのです。考現学は今でもチラシの研究等、ひたすらに採集分類する民俗学等の一つの手法としても、また、現代美術の赤瀬川源平さんの路上観察学なんかにもその思想や方法論が引き継がれています。
どちらにしろ、今僕らが使ってる身の回りのものの美や価値を再認識する、意識化することは楽しいことです。柳さんや今さんみたいに街に出て探していきましょう。

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