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補遺4: WIRED連載『新しい社会契約(あるいはそれに代わる何か)』第4回

雑誌『WIRED』Vol.39(2020年12月14日発売)掲載の『新しい社会契約(あるいはそれに代わる何か)』第4回「「同意する」とは、どういうことか?」の補遺です。
紙面の都合上、掲載できなかった脚注、参照文献等をここで扱わせていただきます。

注1)

「情報自己決定権」は、ドイツの憲法判例で確立している、自身の情報について、誰とどのような情報を共有するかを自身が決定する権利である。
なお、日本の憲法上のプライバシー権に関する通説的見解である「自己情報コントロール権」との相違については諸説があるが、曽我部真裕・山本龍彦『【誌上対談】自己情報コントロール権をめぐって』(情報法制研究、第7号)、「自己情報コントロール権」に関する学説整理については、斉藤邦史『プライバシーにおける「自律」と「信頼」』(情報通信政策研究第3巻第1号)を参照。

注2)

GDPRの法制度運用についての批判や「同意疲れ(consent fatigue)」に関する指摘・記事は数多く存在している。

一方で、山本龍彦は、GDPRは同意のみがデータ利用の正当化要件となっていないため、GDPRが同意至上主義であるというのは誤解である、と反論している(宮田裕章『共鳴する未来 データ革命で生み出すこれからの世界』における、宮田との対談において)。ただ、GDPRが同意至上「主義」ではなくとも、事業者側の実務としてユーザーの同意を取得しさえすればよい、という風潮が蔓延していることも事実であろう。

個人的には、個人情報・プライバシー保護に関する人権意識を牽引しているGDPRを最大限評価しつつ、一方で、個人情報・プライバシーに関する同意の質が向上しているか、結局GAFAMのような巨大企業しか十分な対応が難しいく寡占につながる法制なのではないか、といった疑問等に対して、その是正を慎重に考えていきたいスタンスである。


注3)

人間の(自由)意志や自律性に対する懐疑の議論についても様々な文献があるが、すでに古典的な文献となりつつある小坂井敏晶『責任という虚構』と、河島茂生(編著)『AI時代の「自律性」』、那須耕介・橋本努(編著)『ナッジ!? 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム』を参照。

注4)

鈴木健は、「構成的社会契約」という新しい社会契約のモデルを提示しているが、原始契約の不可能性という社会契約論に対する有名な反論について、「社会契約を交わした、という人間をみたことがない」という印象的な書き出しで記述している。

注5)

中動態については、近年の中動態の再評価を牽引している國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』は必読。また、「行為の私有財産制」という印象的なタームについては、同じく國分による『<する>と<させる>の境界、あるいは人間的自由の問題』(「談」2018年111号)を参照。

注6)

外的要因による人間の自律性に対する再考とは、新型コロナウイルス感染症を代表とするウイルスや気候変動等の、人新世(アントロポセン)の議論と人間中心主義からの脱却という文脈を意識して書いている。

気候変動や人新世がもらたす主体客体二分論の限界については、稲谷龍彦、宇佐美誠および筆者による鼎談「人新世と法」(JST/RISTEX/HITE-Media)における稲谷の発言を参照。



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