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補遺3: WIRED連載『新しい社会契約(あるいはそれに代わる何か)』第3回

雑誌『WIRED』Vol.38(2020年9月12日発売)掲載の『新しい社会契約(あるいはそれに代わる何か)』第3回「集まれない時代の社会契約」の補遺です。
紙面の都合上、掲載できなかった脚注、参照文献等をここで扱わせていただきます。


注1)

レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』の原題は『ワンダラスト(Wanderlust)』である。

注2)

居住移転の自由は、自らが移動したい場所に自由に移動できるという点で身体的自由権の側面だけでなく、自由な就労を確保し、経済生活を維持・発展させる、という経済的自由権としての側面も重視されてきた。
そして、なによりも、好きなところに移動することは活動範囲を広げ、新しい人的・物的・事的接触の場を得ることは、人格の形成や成長に不可欠であるばかりか、表現の自由・集会の自由と密接な関係があり、精神的自由権の側面も有する。
このように居住移転の自由には、多面的・複合的な法的性格があるとされている(芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法(第7版)』、佐藤幸治『日本国憲法論』参照)。

注3)

ブレクジットに代表されるような、EU諸国のリベラル・デモクラシー体制が移民・難民問題やポピュリズムの台頭で内部的危機に瀕している状況については、イワン・クラステフ(庄司克宏訳)『アフターヨーロッパ ポピュリズムという妖怪にどう向き合うか』を参照。

注4)

東浩紀の主張については、日本経済新聞「「集まる自由」問い直す コロナと世界⑹」におけるインタビューを参照した。前提として、東は旅と「誤配」の関係性について著書『弱いつながり』について論じており、その主張は著書『ゲンロン0 観光客の哲学』において「観光客の哲学」として昇華されている。

注5)

MaaSについては、三菱総合研究所『移動革命: MaaS、CASEはいかに巨大市場を生み出すか』、日高洋祐、牧村和彦、井上岳一、井上佳三『Beyond MaaS 日本から始まる新モビリティ革命ー移動と都市の未来』、川口伸明『2060 未来創造の白地図』などを参照した。

注6)

「ミラーワールド」については、ケヴィン・ケリー『ミラーワールド:ARが生み出す次の巨大プラットフォーム』、AR/VR/MRについては、ピーター・ルービン『フューチャー・プレゼンス 仮想現実の未来がとり戻す「つながり」と「親密さ」』を参照した。もちろんアーネスト・クライン『ゲームウォーズ』と、それを映画化したスティーブン・スピルバーグ監督による『レディ・プレイヤー1』も外せない。

注7)

「メタバース」については、TechCrunchの「フォートナイトの急成長、テックジャイアントが注目する「メタバース」とはなにか」という記事がわかりやすい。
なお、正直に告白すれば、私は「フォートナイト」上でのトラヴィス・スコットや米津玄師のライブをプレイヤーとして経験したわけではない。実況動画を後から観たのみである。

注8)

「人はなぜ移動するのか」という問いについては、世界的なベストセラーになっているペール・アンデション(畔上司訳)『旅の効用 人はなぜ移動するのか』を参照した。

注9)

哲学者の千葉雅也は、『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』において、グローバルなネットワークにより接続過剰になった社会では、偏向した情報を不随意的に浴びせられ、情報のオーバーフローに翻弄されるため、それに対抗して、ドゥルーズの議論を梃子として身体の有限性を根拠に、「動きすぎてはいけない」とも主張している。ここでは、物理的・身体的な移動ではなく、精神的な「移動」概念を前提としているように受け止められるが、物理的・身体的な移動が制限される状況下において、精神的な「移動」をどのように考えるべきかは一考に値する(余談になるが、本書のエピローグには「海辺の弁護士」というタイトルがついていて、ライプニッツの言葉として「哲学者は「弁護士」である」という印象的な言葉が引用されている)。







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