見出し画像

インターネットからの融解離脱

飲食店のレビューサイトで、行きたい店の写真を見ていた。料理写真のタブを開くと、100件以上投稿されている写真のほとんどがフルーツサンドだった。私はいつもこの現象を見て思う。どんな料理なのか知りたいだけだから、一枚あればいいのに。そして私は店に行き、写真を撮って、インスタグラムに投稿した。その店の名前をハッシュタグ検索してみると、スマホの画面がフルーツサンドの画像で埋め尽くされた。どれが自分の写真かわからない。私の写真は画像データ1となって、インターネットに溶けていた。

そんなことを繰り返していると私の個性も写真と一緒に溶けてしまったように思えてくる。私はインスタグラムに投稿するのをやめて、ピンタレストという画像アプリを眺めるようになった。そのアプリを開いたある日、黄色いものが目に飛び込んできた。

レモンだった。最低限の線だけで描かれたレモンの絵が、何種類もの植物で飾られたテーブルフォトや、ファッションスナップや、おしゃれなインテリアの写真と同じ場所に浮いていた。誰にでも描けそうなレモンの絵なのに、求心的な魅力があった。

私はその絵を描いた人物を探し当てた。その人は、「その人しか描けない絵を描く」ことを追求していた。私はその人を先生と呼ぶことにした。

先生は、他の人が目に止めないようなものをモチーフに選定する。300円のブリキの人形や、マッチ箱やコカコーラの瓶やスノードーム。それから、すももや切られたりんご。それらがイラストになると、生き生きとした主役になる。絵画のようにかしこまらず、舞台の上でのびのびと遊んでいるような感じ。先生は、わざと他の人の絵と違うものを描こうとしているのではなく、楽しんでモチーフを選定し、気に入ったものを描いている。

私は先生のモチーフ選びを真似て絵を描いてみることにした。出かけた時に入ったカフェで、モチーフを選んでみる。カフェだからといって、コーヒーカップやケーキじゃなくていい。もっと縦横無人に店内を見渡そう。そうして私は、机に置かれた小さな花瓶と花を描いた。

実際にスマホアプリに指で描いた絵

先生が描いた複数の絵には、画面を横切る水平線が登場する。水平線が描かれることで、浮いていたモチーフたちがテーブルや窓際に置かれたように見える。先生は紙の上に水平線を描き入れると、故郷の海を思い出すらしい。先生の故郷は千葉にある千倉という町だ。千倉という地名は市町村合併により、今はもうなくなっている。先生は「千倉は完璧な田舎だった。でも一流の海があった。」と言った。私は画像検索で「千倉」を調べてみた。確かにきれいな色の海の画像は出てきたけれど、他の場所にもありそうな海だったので、興味はわかなかった。でも、先生が描いた千倉の灯台や、海から望む山並みの絵を観たら、親しみのある尊い場所に思えた。おそらく、先生がそのような眼差しで千倉を見ていたからだと思う。先生は、こんな風に見た人に眼差しを共有することができるのかと思った。景色をどのような眼差しで眺めるかで描くものが変わる。そして、その絵を見た人が、絵の中にある場所やモチーフに向ける眼差しも、変えることができる。

私も私なりの眼差しで朝食を描いてみることにした。絵の中に水平線を描き入れて、テーブルの上にプレートをのせる。一人用の幸福な食卓が描けた。

▲実際に描いた水平線のある絵

先生は和田誠さんに憧れてイラストレーターになった。そして、和田さんと肩を並べて仕事ができるようになり、一緒に展示会まで開いた。そこで展示された作品は、一枚の紙に和田さんと先生の絵が隣り合わせで描かれている。例えばトナカイだったり、りんごだったりを、二人がそれぞれ描き入れている。二人のイラストはとても似ている。でも、どちらが先生の絵なのかはわかる。線の描き方でわかるのだ。

先生は線にこだわりを持っていた。全部が滑らかなわけではなくて、少しカクっとした部分もあり、絶妙なバランスを保っている。他の人から見れば、とても簡単に描いた絵に見えるけど、納得いく線がかけるまで何度もやり直すそうだ。この線は悪くて、この線は良いという基準はおそらく他の人にはわからない。でも微妙な差異がイラストの印象を左右してしまうのは実際に描いてみるとわかる。いい歪みは難しい。歪みすぎたら何を描いているかわからないし、乱雑に描いた線はすぐに絵の印象を悪くする。かといって慎重に引いた綺麗すぎる線は、絵の特徴を無くしてつまらないものにしてしまう。おそらく、その絶妙な歪みをコントロールすることが重要なのだと思う。

どんなに憧れの人に影響を受けたとしても、同じものを描くことはない。自分の手で描けば、どこか絶対に歪みが生じて、それが自分の線になる。

▲実際に描いた歪みがベストな絵

私が上記で先生と呼んでいた人は、イラストレーターの安西水丸さんだ。1970年代より広告、小説、漫画、エッセイや絵本など幅広く活躍され、村上春樹など著名な作家の装丁も数多く担当した。そして、2014年に急逝するまで第一線で描き続けた。生前、美術の教科書を作るという夢があったが、その願いは果たされなかった。

今年の4月〜9月まで世田谷文学館で開催された「イラストレーター安西水丸展」では、原画と関連資料あわせて500点以上のものが展示されていた。もちろん依頼されてやった仕事ではあるのだろうけれど、本当にたくさんの絵を描いて、残してくれたのだなと思った。村上春樹の小説の装丁、東京ガスの新聞広告、大好きなカレーの絵、机の上に置かれたラジオや本やマッチ箱の絵、そのどれもが水丸さんにしか描けない絵だった。私は思った。誰でも描けそうだけど、自分にしか描けない絵を描くということは、「誰もが自分の絵を描くことができる」ということなのではないか。

私は水丸さんに直接絵を教えてもらったことも、会ったこともないけれど、残してくれた多くの仕事から学ぶことができると思っている。私は水丸さんの描き方を真似て、いろいろな絵を描いた。花やドーナツや、ときには建物。難しいものは描いていない。自分で見返してみても、誰でも描けそうだなと思う。でも、気づいたことがある。確かに誰でも描けそうではあるけれど、紛れもなく私が描いた絵なのだ。私は絶対に水丸さんの絵を描くことはできない。でも、水丸さんの絵に「敵わない」のではなく、他の人の絵が描けないだけだ。その代わり、自分にしか描けない絵がある。「その人にしか描けない絵」を描くということは、こういうことなのかと思った。

私はインスタグラムに描いた絵を投稿した。資生堂パーラーのテーブルに置いてあった小さな花瓶と花を描いた絵だ。ハッシュタグで店の名前を検索してみる。そうすると美しいパフェや可愛いクッキーに混ざって、明らかに異質なものが存在していた。

それは画像データ1ではなく、自分でモチーフを選択し、自分の手で線を描いた私の絵だ。水丸先生のおかげで、私はインターネットに溶けることから離脱できた。





他の記事もどうぞお楽しみ下さい!