映画『瞳をとじて』~”よく”老いるとは?
1985年に日本で公開された、スペインのビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』。当時次々とオープンしていたミニシアターのなかでその雄ともいうべきシネヴィヴァン六本木の上映作品のなかでも伝説化している作品といえるでしょう。
そのエリセ監督の31年ぶりの長編新作が、現在公開中の『瞳をとじて』です。
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1990年。映画監督だった主人公のミゲルが自身2作目の映画『別れのまなざし』を撮影中、その映画の主演俳優であり親友でもあったフリオが謎の失踪を遂げる。警察は、近くの崖に靴がそろえてあったため投身自殺をしたと断定するも、遺体はあがらず、生死もわからないままで月日が流れていた。
2012年。フリオの失踪後、ミゲルは短編小説や映画批評の翻訳の仕事をしながら、海辺の街で犬と細々と暮らしていたが、テレビ局から、フリオの失踪事件の謎を追う番組への出演を依頼され、マドリッドに赴く。そして20年ぶりに過去の記憶と向き合うことになる。果たして番組放映後に、フリオに似た男がいるとテレビ局に情報が寄せられた。
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映画の最初のシーンは、『別れのまなざし』のシーンから始まるのですが、光と影を美しく表現した映像で、すぐに映画の世界に引きこまれます。
一方で、続く現代のシーンはテレビ局。スタイリッシュで都会的な映像で始まります。
この映像の対比によって、映画を観る私たちも、若かった過去と人生の折り返し地点を過ぎた現在との間を行き来する準備が整ってしまうのです。
ミゲルは、テレビ局のディレクターとの打ち合わせのあと、今はプラド美術館で働くフリオの娘のアナや、未完成の『別れのまなざし』のフィルムを保管している当時の映画制作の編集スタッフであり友人のマックス、そして昔の恋人のロラと会い、過去の記憶や自分の思いに向きあっていきます。このひとつひとつの物語が織り重なっていくプロセスに、深い味わいを何度も感じました。
それは、私自身が来年は還暦であり、年相応の体力知力の衰えを感じて"老い"を意識するようになっているからかもしれません。また、アナを演じるアナ・トレントは私と1歳違い。『ミツバチのささやき』 で演じていた少女がこうしていまは私と同じような年齢になっている、その老い具合をスクリーンで観ながら、『ミツバチのささやき』を観ていた当時20歳の自分の過去と現在の隔たりに、重なるからかもしれません。
これまでのエリセの作品は、セリフは少なく映像で語る場面が多かったのですが、今回は、会話劇かのように、登場人物のあいだでたくさんの言葉が交わされます。なかでも印象に残ったのは、マックスのこのセリフ。
「よく老いるには、希望も恐れもだかないことだ」
物語の進行につれて、ミゲルに、そして他の登場人物に、いたらない自分であったけれど眩しい若い頃の記憶、手に入れられなかったものと今手の中にあるもの、それらに対する感情の波が押し寄せてきます。それは、デジタルとは正反対の、ゼロか1ではない複雑な人間の感情で、それをそのまま、自然に温かく重層的に描くエリセの映画的表現で、私にもわたしの波の音がきこえてくるのです。その音がききたくて、3回も観に行っちゃいました、ザッブーン🌊🌊🌊
そしてきこえてくるといえば、音楽。
映画の中でも、昔の恋人(ミゲル)の前でピアノを奏でながらもう二度と会わないだろうと悟るロラの憂いの横顔、海辺の家で近所の若夫婦たちと飲みながらギターを弾いて歌い合うミゲルの柔らかな笑顔、そしてクライマックスのシーンで上映される『別れのまなざし』のなかで父が弾くピアノの音色で一気にわだかまりを飛び越え歌う娘の瞳。自分の気持ちを言葉にしようとすることは大切だけれど、言葉にならない感情もある。そこにダイレクトにアクセスするのが音楽で、ひとの心や記憶と深くつながり結びつけてくれる。音楽は呼吸と同じくらい大切なんだと切実に感じさせられました。
クライマックスの前に交わされる、ミゲルとマックスの会話がまたいいんです、付かず離れずで長く付き合ってきた、映画を愛するふたりの醸成された友情を感じるから。トップ画のふたりの表情から伝わるでしょうか。
老いることで得るもの失うものは誰にでもあります。それを時にひとり眺めたり、誰かと語りあったりしながら、自分の中にある魂のようなものに対してより誠実になるように老いていくことが、わたしにとっての"よき"老いであることを、エリセの映画は教えてくれました。
最後に、エリセの日本の観客へのメッセージビデオからの言葉をご紹介します。
◆『瞳をとじて』はある意味みなさんの一部です。私の一番の喜びは、みなさんがこの映画を観て、じぶんのものにしてくださることです。そして最後に一言……(日本語で)元気でな!◆
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