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印象派の画家、クロード・モネの私生活(前妻と後妻との関係)に迫る!

#絵画 #印象派 #モネ #クロード・モネ #画家の私生活 #カミーユ
日本人の好きな画家、人気の3名は!クロード・モネ、ヴィンセント・ゴッホ、フェルメールである。私自身も、彼らの絵にたいすると、いつも心躍る。実は、私のベッドの横にはクロードモネの絵『散歩・日傘をさす女』を飾り、楽しむ日々。自分ではけっこう良い趣味だと思っている。

今回、このクロード・モネについて見ていこう。
1840年フランスのパリで生まれる。5歳から、ドーバー海峡に面したルアーブルで育つ。父は、食物卸商で、かなりの資産家だった。

クロードモネは、10歳前後には絵の虜になっていたようだ。近所の人たちの絵を描いては、小遣い稼ぎをしていたという。1枚描いて5フラン(5000円)ほど。それを19歳まで続け、2千フラン(200万円)になったところで、修行の旅にでた。父親としては、反対の気持ちだったようだ。

モネ25歳のとき、パリでのサロンに海の絵2点が入選する。このサロンについて説明すると、一口で言えば、国の公式美術展覧会のこと。18世紀から19世紀末まで続いた公募展で、サロンに入選することが、画家として認められる第一歩となる。つまり、名声もそうだが、収入にも大きく関わってくるわけだ。

クロードモネ、画家としての滑りだしは良かったといえよう。父親もモネのことを少し認めはじめていた。しかし、ここでモネは1人の女性と出会う。モデルをしていたカミーユ・ドンシュー。そしてすぐに恋愛感情が生まれる。親父としては、この娘を認めるわけにはいかなかったようだ。父親と息子の対立が生まれ、モネへの仕送りも途絶えた。

いくらサロンで入選したとはいえ、駆けだしの画家が稼げるはずもなかった。モネは、親からの援助に頼っていたのだ。ここから、生活は貧しいものになっていく。仮にそうなってもカミーユと別れる気は、モネにはなかった。

モネ27歳カミーユ20歳のとき、長男ジャンが生まれる。モネは、生活苦のため、2人を残し、1人叔母の家に転がりこむ。このとき自殺する気でもいたと、後年モネは述懐している。

それから3年後、モネとカミーユは正式に結婚した。先輩画家クールベを証人に立てている。この後、すぐに普仏戦争が始まった。モネは徴兵を嫌い、家族をつれ英国ロンドンに逃げている。生活の厳しさは、ここでも同じだった。

ただこのロンドンでは、一筋の光明もみえた。知人から画商デュラン・デュエルを紹介されたのだ。このデュエルは、モネがフランスに戻ったあと、専属の画商となった。デュエルは、ルノワールの作品も扱ったが、世間の評判は散々だったようだ。

当然のこと、売れない画家の作品をあつかう画商、経営は火のクルマ。ところが、モネにパトロンが現れる。百貨店を経営していたエルネス・オシュデがその人。モネより2歳年上だった。オシュデの力で、何とか生活できると思った矢先、このオシュデも破産となってしまう。

苦肉の策として、モネの一家とオシュデの家族(妻と子6人)は、共同生活を始める。オシュデの妻アリスは、モネより3歳若く、この時33歳だった。

カミーユは、同居生活を始める前より体調を崩し、床についていた。かなりの重症で、日に日に悪化していく。結局2年後には帰らぬ人となった。享年32、どうも癌だったようだ。

カミーユは、死の前年に次男ミシェルを生んでいる。クロード・モネは、お金がないため、モデルを雇えず、ミシェルを数多く描いてきた。この死の瞬間もそうだった。
『死の床のカミーユ』という作品には、妻の最後を記憶に留めるというより、変わりゆく妻の顔をみて、画家の本能が書きたてたと後年語っている。

その2年後、今度はオシュデが亡くなった。モネは、翌年にはオシュデの妻だったアリスと再婚する。モネ41歳アリス38歳。モネは、カミーユの子2人と、オシュデの子6人(女2男4)の父親となった。モネは、カミーユ同様に、このアリスも愛したようだ。ただこのアリスはモデルにはならなかった。また、モデルを雇うことにも反対したと言う。『モデルを使うなら、家を出ていく!』とまで言ったそうだ。

86歳まで長生きしたクロード・モネ。後年は、もっぱら睡蓮を描いた。睡蓮という画題にゆきついたのは、モデルを使うことを妻から禁じられたことによるとされる。一方で、若いときから浮世絵を眺め、日本びいきだったモネ。蓮は、仏教にとって悟りをあらわすモノとして知られている。またこの蓮は、世間の不浄からの解脱も表しているという。解脱とは、苦悩からの解放。カミーユの死への償い!そして、自分の心の解放という気持ちがあったのではないだろうか。絵には、蓮のちかくに描いた太鼓橋がある。これは、全くといって日本の景色だからだ…

1880年ごろのモネとオシュデ一家。モネ(左奥)、アリス(その手前)、ミシェル・モネ(左手前)、ジャン=ピエール(アリスの右後ろ)、ブランシュ(その右)、ジャン・モネ(その右)、ジャック(その後ろ)、マルト(その手前)、ジェルメーヌ(右後ろ)、シュザンヌ(右端)

1880年のモネとオシュデ一家。モネ40歳(左奥)、アリス37歳(その手前)、ミシェル・モネ(左手前)、ジャン=ピエール(アリスの右後ろ)、ブランシュ(その右)、ジャン・モネ(その右)、ジャック(その後ろ)、マルト(その手前)、ジェルメーヌ(右後ろ)、シュザンヌ(右端)

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