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【昔話】18年勤めた会社を辞めたわけ

長いお話。

入社

22歳で中途入社。 業界も営業もパソコンもなにも知らずに入社した。 営業職として働いた。 向いていたのだろう。 上司・先輩の営業が5人いた。 ある業種に特化した自社開発のITシステムの販売だ。 ひたすら飛び込みでの営業。 月に3本売れば一人前と言われた。 1年後には6~7本/月は売っていた。 2年もするとトップ営業マンになっていた。

異動

隣県の大都市に営業所を出すことになり、主任営業として転勤した。 直販だけでなく代販にも手をつけ始めた。 代理店の開拓は面白かった。 営業エリアが広がり、どんどん営業所が増えていった。

また異動

最大の競合相手のお膝元に出張所を出すことになった。 白羽の矢が私に刺さり、乗り込んでいった。 一人でやるには広すぎるエリア。まずは代理店募集の活動からだ。 競合エリアを荒らしまくった。 とんでもない売上を叩き出した。 1年で出張所から営業所に格上げになり、初代の所長に就任した。

またまた異動

もといた営業所の所長が問題を起こし、辞めることになった。 急遽私が所長で凱旋することになった。 このときに会社は上場を果たした。
自分で言うのもなんだが、ここで私は劇的に進化した。
大手の代理店開拓、スーパー大手顧客をGET。
部下の育成もうまく行っていた。

更に異動


しかし、出張所から営業所に格上げになった、二代目の所長がお金を使い込みクビになり、急遽また私が戻ることになった。
ここで、地方の営業所ながら、東京営業所の売上を抜くという快挙を成し遂げた。

更に更に異動

数年後また私はもといた営業所に戻り、営業所長兼ブロック長として、4つの営業所をみることになった。
ここからはかなり順調で、それぞれの営業所で育てた部下が全国の営業所に異動し、活躍をした。

またもや異動

そして、32歳の時に本社て営業本部次長になった。
全国を飛び回る毎日。
忙しくも楽しい毎日。
このときに運命的な出会いがあった。

また更にまたもや異動


33歳で営業本部が東京に移動することになり、これに伴い東京に転勤した。 本部長への反乱で、東京・新潟・仙台・盛岡・札幌の営業所長が退職した。 本部長の一言で、私は営業本部次長に加え、東京・新潟・仙台・盛岡・札幌の営業所長を兼務することになった。 あり得ない勤務環境が始まった。 月曜の朝イチに名古屋からのフライトで、名古屋→仙台、ミーティング後、仙台→新千歳、午後イチのミーティング後、新千歳→福岡、少しのんびりして夕方ミーティング後、福岡→小松。 ホテルで仕事して、翌朝一番で金沢で商談後、サンダーバードで大阪へ、そして新幹線で東京へ。

こんな移動がルーティーンになった。

24時間のうち18時間は仕事をしていた。

会社の業績も上がり、新規事業への投資もバンバン行うも、社長の独断で決めた事業は赤字続き。
一応は上場企業なので、株主からの突き上げも多かった。

そんなとき、起死回生の事業を立ち上げ、ヘッドハンティングですごい人をつれてきた。

しかしこの人が、ビジネススキームを作るのは上手いのだが、組織運営がわかっておらず、社内でのトラブルを連発する。

私にもいよいよ被害が及んできたので、喧嘩になった。

そこで仲裁に入った社長が放った一言が「年上を敬え」だ。
ルール違反を犯し、組織に混乱をもたらした人へ、厳しくあたり言うことを聞かなかっただけなのだが、「年上を敬え」ってなに?となる。

鳴かず飛ばずの状況になり、原点回帰で自社開発の既存ユーザー向けの新サービスをリリースすることになった。
かなり期待の持てる商品だ。

開発プロジェクトには私も入り、記者発表まで行い、業界内でざわつきが起きた。

色々あったのだが、いざリリースの直前になり、社長が発売を中止したいと言い出した。
そりゃ社長の言い分も理解できないことはない。
開発費などを考慮すると、発売中止にした場合の損失は億は越える。
理由を聞く。丁寧に聞く。

5つの理由を上げられた。
一つ一つ丁寧に説明をした。それまでの会議の中でも何度も議論になり、リスクはあっても小さいということで合意されていた。
再度、一つ一つを時系列で説明した。

折れない社長。

もうこうなったらテコでも動かない社長。

仕方がないので、臨時役員会に諮ることにした。
上場企業で記者発表までしていることから、正規の手続きを踏み、取締役会で社長の議案を否決するしかない。

すると、上場してすでに10年近く経っている社長とは思えない言葉が。

「俺の会社だぞ!俺が中止って言ったら中止なんだよ」

呆れた。
その上、こんな言葉を私に言った。

「お前には会社への忠誠心が足らない。だからいちいち俺のやることにケチをつけるんだ。俺を追い落とそうとしても無駄だ」

え?まじ?うそーーん!

そうなるわな。
上場して、持ち株を売却して数千万のキャピタルゲインを得た幹部多数。
そんな中でも株を売らず、会社の業績をあげ、配当を貰うことを選択した私が、忠誠心がない???

そりゃもうプチ切れましたよ。

そしたらね、本部次長から、西日本ブロック長に降格された。

これが最後の異動

転勤した。

燃え尽きた。
燃え尽き症候群てやつ。


神様はいるね。

ヘッドハンティングのお誘いがあった。
この時点での最大の競合相手。
迷ったが先方の社長の一言が決め手になった。
年収のこと。いくら欲しいか聞かれた。
いくら出してくれるのか聞き返した。
すると、こう言った。

「君が欲しいと言った金額にNOは言わないよ」

ここで常識外れのことは言わない。

あっさり決まった。
その上、転職準備金として、驚くほどのお金も出してくれた。

そして、転職したのさ。

18年は長いようで短かった。
今でもその時の経験が生きている。
今では感謝でいっぱいだ。


次の会社を辞めたわけもいずれ書こうと思う。


そんな感じ。

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