雑記と私#72:説破!
私はクイズが大好きである。
クイズ番組が大好きである。
私がまだ学校に通っていた頃は視聴者参加型の
クイズ番組がいくつもあった。
特に小学生の頃は完全にテレビっ子だったので
そうしたクイズ番組はかじりつくように見ていた。
雑学に詳しいと人から言われる事が時々あるが、
その辺りの知識の大部分はこの時期に見ていた
クイズをはじめとするテレビ番組の影響が大だ。
残念ながら最後の砦だった『アタック25』の
ABC朝日放送での放送が終了してしまい、現在
地上波では視聴者参加型のクイズ番組は消滅して
しまった。衛星放送にて番組は存続しているものの
実に寂しい限りだ。
私は子供の頃からこうしたクイズ番組に出るのが
ひとつの夢だった。その夢は今も叶っていない。
中でも特に出てみたかったのが共に日本テレビの
1年に1度の企画だった『アメリカ横断ウルトラ
クイズ』と『全国高等学校クイズ選手権』の2つ。
このうち高校生クイズは実に惜しい事をした。
高校の頃に所属していたクラブには、先輩と後輩
それぞれに同志が居たのだ。
3学年を跨いだチームを結成するチャンスは1回だけ。
「あの時出ておけば良かったなぁ」とは3人で
顔を合わせるとよく言っていた思い出話だった。
そしてウルトラクイズだ。
今ではまず考えられないとんでもない規模と予算。
毎回大赤字を叩き出しながらも名物番組として
毎年放送され続けたおばけ番組だ。
これだけは本当に出たかった。
毎年必ず第1問として出題される”自由の女神像”に
ちなんだ〇❌で玉砕することになるとしても、
あの場に立ちたい、それは大きな夢だった。
しかし・・・。
私が高校を卒業し、社会に出たその年の放送を
もってウルトラクイズは終了してしまった。
ウルトラクイズの出場資格は「18歳以上」。
資格を得たその年に、出場する機会を失ったのだ。
あれは哀しかったなぁ。
クイズゲームもよくやった。
ゲーセンで連コインしながらクリアを目指したり、
みんなで交代してワイワイ言いながら遊ぶには
最適だった。
ゲーセンもオンライン化が進んでくると全国の猛者と
そのクイズ力を競い合う時代になる。
今でこそゲーセンに足を運ぶ機会も少なくなって
しまったが、稼働した当初は足繁く通っていた。
それまでの4択メインのクイズゲームから一転、
タッチパネルを利用した筆記問題など当時では
非常に珍しい凝った造りで、その競技性と相まって
どっぷりとハマったのをよく覚えている。
伊沢拓司やQuizKnock等の登場により少しは
よくなってはいるものの、冬の時代を迎えている
クイズとクイズ番組。
かつてのような輝きはもう戻る事はないのだろうか。
ところで…「今、何問目?」。
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