雑記と私#27:懐古主義

毎週末の接骨院通いを終えて、何気なく
Twitter(現”X”)を見ていたところ、ゲームセンターの
今と昔に触れたつぶやきがあった。

私なりの見解をつけてそれをリポストしたところ、
同世代(だと思われる)フォロワーさんからいくつかの
リプライを頂き、ちょっとした昔話に花が咲いた。

そうこうしているうちにふと思い至った。
「あの頃はこんな感じで良かったなぁ。」
そう懐かしむのは別に悪い事だとは思わない。

ただ、最近の自分は少々”懐古主義”に囚われすぎて
いるのではないか、と。

このnoteにも自己紹介がてら、自分を形成する
趣味・嗜好(あるいは思考)について記事にしてきた。
それは多分に過去の出来事を含んでいる。
その弊害とでも言うべきか、過去ばかりを振り返って
あまり今や未来は見えていないのではないか・・・。

そんな考えが頭をよぎった途端、これまで書いてきた
記事の続きが書けなくなってしまった。

さてはて、どうしたものだろうか。

書きかけのまま投げ出すような真似はしたくない。
かと言って書こうとしても、余計な考えが
よぎってしまって文章としてまとまらない。
これは困った。

思えば既に半世紀も生きてきている。
この先、四半世紀を生きていけるかも怪しいものだ。
そう考えると、自然と過去に目が向いてしまうのも
やむを得ないことなのかもしれない。

確かに昔も良かったかもしれない。
でも今も、これから先も、良い事はあるハズだ。
昨日だってSNSの便利さについて有り難いことだと
思えたのだ。
ロクなニュースがほとんどない世の中だとはいえ、
必ずしも悪い事ばかりではないのだから。

そう言えば、以前お付き合いをしていた人に
言われた事がある。
「悪いほうに考えすぎるクセがある」と。
こうも言われた。
「小さな事でもいいから、1日1つ、良かった事を
探してみたら」と。

今の自分に必要なのはこれかもしれない。

焦ることはない。
書ける時に書ける事を書いていけばいいのだ。

こうしてあれこれ書き出してみるだけでも
色々気づくことがある。
そのうちまた書き進めることも出来るだろう。

何にしろ、書く事だけは続けよう。
こうして考えを巡らせる時間は、今の自分には
もはや必要不可欠だ。

明日は何を書こうか。
ま、明日また見つければいいか。


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