ゲームと私#6:サードパーティ参入
※前回までのあらすじ※
カセットビジョンなんてのもあったね。
きこりの与作しか覚えてないけど。
すっかりファミコン少年となった私。
学校が終わると
”帰宅~友達と家でゲームor駄菓子屋でゲーム~晩御飯~宿題~ゲームorテレビ~就寝”
という流れがすっかり出来上がっていた。
そんなある日、おそらくコロコロコミックだったと思うのだが、ファミコンのソフトが任天堂以外のメーカーからも発売されるというニュースを見掛けた。
ファミコン初のサードパーティ、ハドソンの登場である。
当時の私は非電源系ゲームやLSIゲームなどで”メーカー”という存在そのものは何となく認知していたように思う。しかしながら、ことビデオゲームに関しては製作メーカーというものを意識したことなどほぼなかった。ただ目の前にある面白いゲームを遊ぶ、それだけだった。
その頃のハドソンはとにかく”ハドソン”というブランドを定着させるのに必死だったように思う。まだ子供だった私にすらゲームメーカー(サードパーティ)という存在を印象づけたのだから、その戦略は間違ってはいなかったのだろう。
ちなみにハドソン参入第1弾ソフトだった『ナッツ&ミルク』は購入しなかった。私が注目していたのはその直後に発売を控えていた『ロードランナー』だった。当時のハドソンのTVCMなどもこちらがメインだったのではないだろうか。親に買ってもらうのではなく、自分でお小遣いを貯めて買った初めてのソフトがロードランナーだった。
泣け無しのお小遣いを必死に貯めて購入したロードランナーは期待以上の作品だった。思えばこの頃からすでに”パズルゲーム(アクションパズル)”にハマる素養はあったのかもしれない。
さらに数ヶ月後。今度はナムコが家庭用ゲームブランド『namcot』を引っさげて参入してきた。
そこに用意されていたのは屋上遊園地で幼き日の私を虜にしたあの作品たち。
そう、”ギャラクシアン”と”パックマン”だ。
ロードランナーにすべての(財)力を注ぎ込んでいた私はそれらを購入はしなかったのだが、友達の家でプレイさせてもらう機会はあった。
そこで思ったのだ。
「あれ?なんか違うな・・・。」
この違和感がのちのゲーセン野郎を生み出すきっかけになる。
続く。
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