見出し画像

【現代美術】梅津庸一

梅津庸一さんの展覧会が大阪、東京で同時進行中。


『梅津庸一 クリスタルパレス』
~10/6 @国立国際美術館  nmao.go.jp
『梅津庸一 エキシビションメーカー』
~8/4@ワタリウム美術館 watarium.co.jp

2021年、ワタリウムで観た『ポリネーター』展が雑然とし過ぎな印象で、果たしてどう見せたいのか、コンセプトがわかりづらかった感想を持ったので、気になってはいたが二の足を踏んでいる状況のところに、朝日新聞7/23夕刊に大きく載っていたので気が変わった。

パープルーム(梅津庸一氏主宰)に興味を抱いて『共同体について』の対談(松浦寿夫氏と)をURANO(東京)まで聞きに行ったのが2018年。
今思えば、美術大学を気持ち悪いと否定する面白い集団を見に行ってみよう、という軽い気持ちと、日本の現代美術についての現状が知りたい、とのマジメな気持ちと。

『平成美術: うたかたと瓦礫デブリ 1989-2019』@京都京セラ美術館(2021)でパープルームが展示されてたのも観たんだった。椹木野衣氏が企画・監修。現代美術の変遷のなかでパープルームが取り上げられていた。展示の中に椹木氏自身の本がそこここにあった印象。(買いなさいよ~)ということだったのか?

それから、2021年『ポリネーター』@ワタリウム美術館の順か。
この時は、ワタリウムから歩いてすぐのトキ・アートスペースで個展の最中だった。トークを聴きに来た若者がギャラリーに寄ってくれたのを覚えている。

 現代美術 艸居 (京都)。
梅津庸一+浜名一憲『6つの壺とボトルメールが浮かぶ部屋』これも2021年。
陶芸作品がずらり。もうこの時期から「花粉漉し器」の造形だったんだな、と思い出す。初日から売れに売れて、東京からも買いに来る人もたくさんだったとか。ドローイングも数点あり心地いい透明感を感じた。ひたすら上手いな、と思う。

そんなこんなで思い返せばいっぱい観ていて自分で驚く。
それはきっと、いわゆる現在の現代美術の担い手のひとりという側面より、
「いいものはいい。」と、本来、忘れてはいけない芸術の在り方、存在の可能性について認めたうえで現代美術を語っているところが、ひとつの魅力であり、巧妙なところであるから、かもしれない。そして、ひたすら創り続ける、という美術作家としてのベーシックな姿勢をみせているから、だからかもしれない。

「いま現代美術は、肥大化するアート市場(を意識した作品)と、社会派に二極化しているが、僕はどちらとも違う面があるのかなと思います」
捉えどころがない、という声については
「自分の方法論を確立したら、それを洗練させる美術家が多いと思うけど、そこで作家性が閉じる感じがある。僕の場合は、何かをメインに捉えることがなく、尋常じゃない数を作るので、追いにくいのかもしれない」。

2024.7/23 朝日新聞夕刊

これは大いに納得する。メソッド化して「自分の作風はこれです」と言わんばかりの作品は、作家との距離が感じられる。何かを確立して安心したい、というのはだれしもだが、芸術は日常に沿わないところに魅力があるのも事実で、常に自分に、世界に、対峙して作品を創り続けるのは並大抵ではないが、これが芸術の可能性であり、運命であると思う。
ただ、「尋常じゃない数をつくる」という表現なのか、制作のなかで、何かを見つめるため、発見のための「尋常じゃない数」なのかの回答はなされていないのでわからない。
梅津氏はそうして観る者を試しているのかもしれない。
試されるために観に行くのは同じ時代に生きる自分にとって醍醐味だろうと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?