言葉にするということ

私の性格・考え方のおはなし。

私はかなりめんどくさい性格である。
なんで?と聞くことが多く周りを困らせたり、話し合いの場でその場では何も言わなくても後になってあのときこう思ったと言ったりする。

私は高校生からアラサーになる今まで、日記を書いている。と言っても毎日ではなく、気が向いたときに思いつくことを思いつくだけ書く気まぐれスタイルである。
そこにはその日あったことをつらつらと書くことが多かった。これによって、物事を客観視する力が身についたように思う。

しかし客観視と事実を事実として捉えることをしたばかりに、自分の気持ちについては随分と疎くなっていた。
それに、自分の考えたことを日記として言語化するうちに言い訳がましくなり、親に「あんたはああ言えばこう言う」と言われるようになっていった。

その頃私はひねくれていたので、「思ったことを言っただけでああ言えばこう言うと言われるのは理不尽だ!」と自分の意見を自分の中だけにおさめるようになった。日記の量はどんどんと増えていった。
その頃から、自分が何を感じ何を思うのかわからなくなっていった。

そこから数年、何を聞かれても「なんでもいい」「わからない」としか答えなくなった私は、色々あって自分探しの旅を始めることになった。 

そこでどんな運命か、言語化をすごく頑張っている女の子にであった。

出会ったと言ってもネット上の話で、交流があったと言っても数回のDMと一度のオフ会のみであった。
それでもその子との時間やおはなしして学んだことは私にとってとても大きな収穫となり、私の人生においてかけがえのない宝物になった。

それから一年、私はやっぱり事実の言語化と感情を探す旅を続けている。相変わらず根拠が欲しくて頭のカタイ事を言うし、したいことを聞かれても「特にない」と答える。

そんな自分がどちらかというと嫌いだけど、こと言語化を怠らないことについては良いところだと思っている。言語化していくことはこれからも続けていきたいし、それで気づきを得たりこの先進む方向がはっきりしたりしたら、私の人生は良きものになっていくとおもう。

そんなこんなで、言語化についてのわたしのことを書き連ねてみた。
読んでいただきありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?