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言葉が溢れて追いつかない

今まさにである。
普通は感動した時に使う表現なのかもしれない。

今とある本を読んでいる。それは後に記事にすると思うのだが。読んでいてふと、なんであんなに頑張って働いていたのであろう?
あんだけ勉強していたのだろう?
こんなことを考えるのは、先日整体でも「どうしてそんなに頑張ったんですか。元々そういう頑張り屋さんなんですか。逃げようとおもわなかったんです?」
そんなことを言われたからかもしれない。

そういえば最近、似たようなことが会話に出てくることがある。点と点が繋がっただけかもしれないが、と脱線してしまった・・

ふと、いつからか真面目に。
私は昔から真面目ではない。
本来の性格と、周囲の環境が合わさった時に後者がより支配していった。そんなふうに思う。感情を殺しすぎると、自分を見失う。無機質な人間になる。やめとけ。と言いたいもんだね。

確かに、なんのために勉強していたか。考え出したら真っ白のペーパー。
その事実に溢れるおもい。
でも、少し前ならモンモンと考えて自己分析というよりネガティブで、過去の嫌なこと思い出すループになっていただろう。今は、感情言葉がどんどん溢れてくるものの否定的ではない。
モーツアルトの作曲はアイディアがどんどん溢れてきて、筆が追いつかないときく。そんな感じなのかななんて思う程に受け入れている。頑張った自分。乗り越えたな自分。そんな23時もあっていいかもしれない。

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