ちょっとだけお金を増やしたかっただけなのにその7

運って平等ではない。
ましてやついてないことは決まって連鎖する。
偏りの方が強いんだろうね。
なので負けたら一旦クールダウンさせる時間をあけると良いとか言う人がいるけど強ち間違いではないと思う。偏りを散らす意味ではね。
自分はついてないやつ、タイミングが最悪なやつと前回は書いているがあくまでもFXに関してはと言う前提条件が付く。
大学は偏差値60ちょいの私大だったが、センター試験はミスりまくって、D判定の嵐。後期試験は雪でバスが動かずに45分の遅刻。受かった大学より偏差値の低い大学も落ちてたし、ある意味運良く引っかかったと言う方が強い気がする。そして、成績不良だったのにも関わらず留年はしなかった。凄いのが現役で卒業できた人たちの中で最下位の成績だった事。ま、夜中のコンビニバイトで授業内容なんてほとんど記憶になかったし、悪いのは当たり前だとは思うけどまさか最下位とはね。留年せずに残ったんだからね。しかも就職超氷河期と言われていた当時にそれなりにマシな上場企業に就職できたのよね。
理系の大学は、個人個人自由に応募して内定を取るよりは、もともと学校に届いてる企業に対して推薦状をもらって応募するのが主流だった。今もそうなのかな?25年も前なのでわからんけど。
その推薦状はもちろん成績順。
最下位の自分にはろくなものは残ってない。
俗に言う有名企業はマスター(大学院)の人達と一握りのトップの学部生で即完売。
自分の番が来た頃は、もうケツの毛もむしり取られた後の産毛探しのレベルだった。就職担当教授の印象もすこぶる悪かった。そいつの担当してた科目は2年連続落とされて、3年目に違う教授に乗り換えてなんとか取った科目だった。
ちなみに数学です。笑えるね。お前理系だろと。
また話は脱線するがよく、親が素晴らしいと子供も素晴らしい、頭の良さや運動神経、芸術的センスも遺伝すると言われてるが自分は正しいと信じている。中学までは大した勉強せずにそれなりに成績は良かった。しかし、高校に入った途端落ちこぼれとなった。親が中卒だから。中学まではずば抜けた成績だったらしい。それを引き継いだだけ。なのでそこからは自分で努力するべきだったがしなかった。流されるように生きてしまった。
ノー味噌が元気な若い頃にもっと勉強しておけばよかったと思うが、それなりの運もあったので痛い目にも会わずここまで来てしまったな。
ってわけで成績は最低だったが、なぜか地元の上場企業の推薦状をキャンセルして更に条件の良い企業に乗り換えようとした奴が現れて、その隙間に自分がハマったのだ。Uターン就職したいわけでもなかったが、それを理由としてなんとかその辞退した推薦状をゲットできたのだ。ケツの産毛から波平の残りの1本をむしり取れたのだ。推薦状って企業にとって重さが全然違ったのよね。ここでも自分の運が活躍する。
留年ギリギリだったほとんど可ばかりだった成績表すら覆すくらいの強力な推薦状でした。
内定取れないのは遅刻したやつくらいだった。
助かったね。
ちなみに、辞退して違う企業の推薦状もらってたやつは落ちてた。
パチスロの影響もあったが
家の土地購入で1千万使っても30台前半で3千万貯まってたのはそのおかげかもしれない。
そのお金も半分近く無くなったわけだ。
その8に続く

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