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「正欲」

朝井リョウの「正欲」。
ずっと気になっていた本。
GW中に読もうと思い購入した。
レジに持っていくと今月末に文庫版が販売されますがよろしいですか?と丁寧に聞いてくれた。そのことは知っていたがそれよりも早く読みたかった。

実写映画化されることも知っていた。
ちょうど半分くらいまで読み進めていると、磯村勇斗が追加キャストで発表された。
ファンなので嬉しく、さらに自分が読んでいるこのタイミングで発表されたことに勝手に一人テンションが上がった。絶対に観に行きたい。

GW中、少しずつ読み進めようと思っていたが、結局3日くらいで読み終えてしまった。
タイトルである「正欲」。
正しい欲とは何だろう?
食欲、睡眠欲、性欲。
それがどんなものに向けられ、どんなかたちであっても、その人にとっては「正欲」であり、他人には分かりようがない。

大学で心理学の授業で、相手の話を聞くロールプレイングの授業があった。
そのとき大切にするべきことは、受け入れること。否定しないこと。
「そうなんですね」「大変ですね」
ただありのまま受け入れること。
理解はしなくてもいい。出来ないこともある。ただ否定はしない。

大好きなアイドルが言っていた。
”この世にはもっと苦しい思いをしている人がいるよ”、そんな言葉は全く意味のない言葉だと。
ただその人にとって苦しいと感じれば、それは苦しいんだ。
書いてみるとなんて当たり前のことなんだと思うけど、そういう風に自然に考えられることは、普段から意識していなければ難しいかもしれない。

そんな今まで自分が学んできたことが思い浮かんだ。

結局「小児性愛」として片づけられてしまう事件。
他への性欲の可能性をあり得ないと片づけてしまう検事。
キチガイだという上司。
取調べのシーンは読んでいてイラつきを覚えたが、もしこの検事や上司と同じ立場にあったら、別の可能性を考えられるだろうか?
同じように水の写真は事件に関係ないとして排除してしまうのではないか?
やっぱりヤバイやつだったと、気持ち悪いと非難してしまうのではないか?

多様性。
たとえば水に興奮する人がいる。
自分の知り得ない理解し得ない人がいる。
ただそれを知っている。そう人がいるという事実を理解しているということだけで、良いのかもしれない。
というか、それしかできないと思った。


たとえばある男女が結婚して子どもを産む。
数年後、片方が違う性として生きていくと決め離婚をする。
男女の夫婦ではなくなるが、子の親ということは変わらず、協力して子育てしていく。
これの何が悪いんだろう?
悪いとしたら誰が決めるんだろう?
他人が文句を言う権利はあるんだろうか?
迷惑をかけられているんだろうか?
気持ち悪いと思ったとして、それを本人にぶつけて何になるんだろうか?

自分の正しさに当てはめて他人を非難すること、恐ろしいことだと改めて感じた。
そしてそういう人間にこの本を読んでほしいと思う一方、そういう人間には到底理解できないのではないかと、この物語の人物同様に諦めみたいなものも感じたり、様々なことを考えてしまう。

心にとどめておきたい作品になりました。

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