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同一労働同一賃金前夜

 自分が社会に出る直前にバブル崩壊が起きました。契約社員という言葉もそのころに始まりました。記憶が不確かですが、JAL/ANAでCAさんの契約社員採用が始まったころでもあります。会社に入って、普通にお仕事をしていたある従業員の方と仲良くなったころ、「実は私は契約社員なんです。」と消えいりそうな声で話されたことがあります。また、別の先輩社員からは「〇〇さんは契約社員なのでね」と、こっそり言われたことがあります。私が同じように接しているので、少し気を遣え、という意味で先輩はおっしゃったのかもしれませんが、特別扱いをすることがよいのか、むしろ私は迷った記憶があります。私は同じ職場の従業員の間で、なにか目に見えないガラスの壁があることについて違和感を覚えました。
 そして2000年頃でしょうか、成果主義・派遣社員の解禁という言葉とともに、社会の中に閉塞感が出てきたように思います。しばらくして派遣業界は大盛況になりました。2007年には「ハケンの品格」が放送され、これはリーマンショックまで続きました。派遣が新しい働きかたとして取り上げられた時期もありました。
 雇用形態の多様化という旗のもとに、一体的に運営していた組織の中に何か亀裂が入り始めたのはこの時期なのでしょう。そしてこの壁はいまだに社会の中に残っています。日本企業が大切な何かを失った頃と重なるのは気のせいでしょうか。