今まで、推しが死んだことがなかった

推しの死というものを味わったことがない。

そもそも、生物の死というものに触れたことがほぼない。
親戚などもだいぶ少なく、今現在まで生きてきて関わりがあった親戚が私含めて5人しかいない。私、母、祖母、叔父、叔母。幸福なことにみんな元気に存命である。祖父は母が2歳になる前に亡くなっているため、私は全く関わりがない。
動物禁止のアパートに住んでいたためペットなども飼ったことがない。
経験したことのある生き物の死は、おそらく家に沸いた害虫に殺虫剤をかけたときくらいしかないと思う。

また、オタクとして生きてきてだいぶ経つが、推しの死というものを一度も味わったことがなかった。
まず人が死なないような平和な作品を好んで観るため、作中のキャラクターが死ぬということもほとんど経験がないように思う。(唯一、某鬼退治の漫画をリアルタイムで読んでいたが、そこまでドハマりしていたわけではなかったのでサラッと読めた)
前は二次創作なども好んで読んでいたが、そのときでも死ネタなどは苦手だった。以前ツイッターなどで流れてきた、推しが死んだというオタクの実録漫画などもあんまりよくわかってないまま読んでいた。

とにかく、人や推しに限らず生き物の死に触れたことがほぼないままここまで生きてきた。

そして、昨日、好きな動画投稿者グループが無期限の活動休止を発表した。
厳密にいえば活動休止するのは来年からで、まだ半年以上あるが、それでももう半年程しかないのだ。

私は率直に、ついにきたか、と思った。(活動休止がついにきたか、ではなく、私がひとつのコンテンツの終了を見届けるときが来てしまったのか、という意)

別に動画投稿者が亡くなったわけではない。それでも私は覚悟をした。
以前、Vtuberを推してるフォロワーが「インターネット上での引退や転生は、実質的な死だ」と言っていたことを思い出した。
インターネット上で活躍している人が、インターネット上でその人でなくなったり、インターネットから消えたりしたら、それは本質的には死となんら変わりないのだ。
活動休止だから引退ではないし、いなくなるわけではない。そんなことはわかっている。でも私は覚悟してしまった。
無期限の活動休止なんかそんなの引退とほぼ同然なんじゃないのか、とか、本人たちが活動休止だと言っている以上それ以外の汲み取りをするのはよくない、とか、散々考えて、考え尽くして、でも結局本人たちが言ってることが事実なのだ。彼らが終わる日が、決まってしまったのだ。

私は、コンテンツの終了、それすなわち「死」だと思っている。私が好きな人たちがそれになってしまうのが悲しくてしかたがなかった。
何度も繰り返すが、彼らは死んだわけじゃない。コンテンツがもう今日明日で終わってしまうわけでもない。それでも、悲しいものは悲しいし、寂しい。

心の整理がつかない。まだ半年以上もあるから、今までと変わらずに楽しむことが最善であることはわかっている。でも、私は、好きな人たちが実質的な終わりを迎えてしまうという経験が今までになかったため、この感情をどう処理すればいいのかがわからないのだ。

自分が推しているコンテンツが終わるなんて、そんなこと考えてもいなかった。
でも、二次元にしても三次元にしても、自分が推している人の向こう側には自分と同じく人間がいるのだ。始まった以上、いつかは終わるものである。そしてその終わりを決められるのは、この世で推し本人しかいない。推しが終わりと言ったら、そこまでで終わりになる。

怖い。ただひたすらに来年が恐ろしい。このコンテンツが、彼らがこの先どうなっていくのかが怖い。
私にできることはただ彼らを応援することしかない。
でも全て受け入れることだけが愛ではない。
どうしようもない。
私は、ここで実質的な推しの死を、人生で初めて味わうことになるのか。
ここからの半年で、私はこの感情をどう処理すればいいのかわからない。
世のオタクたちは、推しが実質的な死を迎えたとき、どうやって心の整理を付けているんだ。
誰か教えてくれ。

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