臍の緒を、切る。

※セルフカウンセリングのためみたいな文章。記憶を辿って、まとめている感じ。
自分が持っておくより誰かに見てもらった方がアウトプット出来るような気するから、世に放っておこう。これの前に書いた「線がない」も、愛着障害と関係していると思う(バウンダリーの問題)。
全体的に愛着障害の話してますが、診断はされてません。個人的な感想や日記です。


記憶

家族と住んでるとき、うちの家族って変だ、なんて思ったことは1度も無かった
あたしンちのお母さんみたいな母と、全然怒らない優しい父親だ。フツーだなと思ってた。
まあちょっと貧乏だけど、
なんかお母さんはお父さんの愚痴ばっかり言ってるけど、みんなそんなもんだよね?


普通の家に生まれたのに、親は忙しい中一生懸命育ててくれたのに、私は小学校から高校まで不登校を繰り返して、人間関係で失敗して病んだり親に借金作らせてまで留学して大学行って。
私って、なんておかしな子なんやろ。しにたい。きえたい。みんな私を忘れて欲しい。とにかく、忘れて。気持ち悪い




大学進学を期に上京し一人暮らしを始めて暫く経った時、同じく東京に住むお兄ちゃんが泊まりに来た。
八王子の冬。
夜は家で鍋を食べたあと、二人で大学まで散歩しに行った。
大学の周りを歩いてたもんだから、「お兄ちゃんも大学ん時一人暮らし大変やったやろ」とか、話を振った。適当な感じでほんと、てきとーーに。
でも本当は適当じゃない。お兄ちゃんには地雷になる話題がいっぱいある。踏むと不機嫌になって、怖い。当たり障りない話をするか、馬鹿みたいに、空気読めないみたいに話せば大丈夫。お金の話と、東大の話と、いじめの話はしたらダメ。
それで壁に穴が空いたりカーテンがちぎれたことがある。なによりも、両親が怯える。あの張り詰めた空気、泣く母、黙る父。


お兄ちゃんは、
はよ地元出て新しいこと知りたかった らしい


お兄ちゃんは中学校3年間まるっと不登校だったし高校でも学校行ってない時期がある。でも必死に勉強して、目指してた東大には落ちた(落ちた時、鬱っぽくなってしばらく立ち直れなかった)けど、滑り止めで受けてた有名私立大学に行った。
今までの自分とお別れしたくて上京したんだろうな〜って思っていた。
大学ではインカレのでっかいイベントサークルで幹部をやってたらしい。彼女もできた。
ちなみにその頃お母さんは、お兄ちゃんのことを卑屈で友達ができないタイプだと言ってた。自尊心が低いって。見てると可哀想になって、涙が出てくるんやって。なんであんな弱い子に育ってもたんかなあ。
ケンタ、これやっておいたよ。ケンタ、お金のこと気にせんでいいでの。




「うちの親、変やが」
歩きながらお兄ちゃんが言った。
え、ヘン?聞き間違えたかな。


でも変って聞いた瞬間に、ぐっちゃぐちゃに絡まってた糸が全部ぜんぶほどけてくみたいな感覚が確かにあった。うん、それ、それ。そう。やっと、 ヘンって言ってくれた。



え、あ、そうなんか。あ、そうやよの。やっぱ、へんやよの。うん。そうやそうや

うん 結構毒やと思うよ
俺、よくあの環境でここまで育って来れたと思うもん。お父さんてさ、友達1人もえんが?
普通の健全な父親って、飲み会行ったりさ、するやろ。そこで多分、家族の愚痴とか、悩みとか話したり。
お父さん自分の話全くせんで友達えん理由分からんけど。

たしかにお父さんって本当に友達一人もえんな 今気づいた

で、お父さんの両親も、お父さんが大学生の時に亡くなってるが。お父さんって孤独やろ。
だから可哀想な人なんやけど、でも、プライド高くて人の事見下してて、人の事傷つけること言ってまうが。素で。

あ、あ、


お母さんもかなりやばいよ。お金のこと心配するなって色々勧めてきて、やったらやったでお金ないお金ないってずっと目の前で言うし。
俺らに罪悪感植え付けてくるやろ。
けどお母さんも可哀想やで責めれん。じいちゃんはDV男の酒飲みのクレーマーやし、ばあちゃん殴ってたりしたって言ってたが。
なんかうちの親2人とも、子供を持つにはあまりにも未熟やと思わんか?



おかしかったのは私たちじゃない。
お兄ちゃん、いじめとか先生からの暴言で学校に行けなくなった。その時ゆったりと包み込んでくれる母と、外に連れ出してくれる愉快な父はいなかった。
っていうか、母はずっと他人の幸せの為に活動していてほとんど家にいないか、いてもずっと誰かと電話していた。他人の可哀想な話を聞いて、アドバイスとかしていた。
不登校はコミュニケーションができないケンタとか、いじめてきたやつらだけの問題だと本当に思っていた。
お父さん、もうもはや記憶にすらいない。

私はコミュニケーション取るたびに
あ、この子私の事嫌いなんだ。敵だ。って思って関係拗れたり
お兄ちゃんが不登校になったタイミングで親の関心が全てお兄ちゃんに奪われて、辛くて、私も小学校行かんかったらこっち見てくれるかな。って、思って休んだり。学校ずる休みしたい、ダルいからさぼりたいとかじゃなくて、当時は命に関わるくらいに考えてた。


ケンター、ごはーん。
あ、きた、ご飯。行かないと。行きたくない。
無言の食卓。地雷を踏むと兄が暴れるから。テレビ番組にも気をつけなければいけない。なんの意味もなくため息をついただけなのに、お兄ちゃんがそれに反応して「俺が悪いんやろ。」と言って暴れ、部屋に戻る。
ドン、ドン、ドン、バン!お兄ちゃんは木の床にしか気持ちを分かってもらえない。床と階段だけが、痛みを分かってくれる。勢いよく足を叩きつければちゃんと悲鳴を上げてくれる。
空気が重い、重くて吸えない。吸えたとして、息の音を殺して吐かないと。

あれ、でもなんか、試しにバカみたいにおどけてみたら少し食卓の空気が軽くなった。そうか。これか。でも、なんだ、これ。自分じゃないみたい。誰?


高校でも、人との関わり方を掴めなかった。
なんで、なんでみんな私の事仲間はずれにするの。わたし何も悪いことしてないのに。
本当に分からなかった。でも距離感とか言動だとか、気持ち悪かったと思う。自分守るために変な嘘ついたりしてたし。てか基本ずっと情緒不安定だったし。
今の自分なら、当時の自分をあんま関わんない方がいい人かもな〜って判断できる。
留学から帰ってきた時 明るくなったと皆に言われたけど、親から離れられていたからかもしれない。


大学に入って、ようやく親が変だって気づいた。カウンセリングで話してても、「それ、全然普通じゃないよ」と言われた。
言われてもらって気づいて、ようやく少しずつではあるけど自分が何者なのかが分かってきている気がする。友達に対しても、段々距離の取り方とか素直になることや相手を心から気遣うことが出来てきてるんじゃないかなと。


人が大好きだと気づいたのも大学に入ってからだ。まだまだ治療しないといけないけど、愛情をどう伝えられるか、どう受け止めればいいのか、もっともっと深く広く知っていきたい。
健康で平和な世の中はそうやってできていく、のかな?


結局何が言いたいかっていうと

愛着障害。
私の家系は愛着障害の家系なんだな。

私たち兄妹と同じように、父にも母にも、いつでも身を寄せられるような安全な場所がなかった。

父は閉じこもる。人のいない所へ行って、傷つかないように。身を守るため、人を見下して、自分が正しくて、相手が悪いって思うことで正気を保ってる。
母は子供に安全な場所を求めて執着し、干渉し、依存している。子供を可哀想な子たちだと思っている。余裕のある優しさで包み込むことは出来ない。身を守るために、常に私たち兄妹を臍の緒で繋げている。

幼い頃から親とそんな関わり方をしているから、兄妹2人とも様子がおかしくなるわけで
お兄ちゃんは大学に行ってから、家を離れてから、信じられないほどに明るくなってた。お母さんはその事をまだあまり信じていない。お兄ちゃんのこと根暗だと思ってる

発達障害よりも、愛着障害に注目しなければいけないと思う。
人間関係が原因となって鬱や躁鬱を患っている人も、根っこには愛着障害がある人が多いんじゃないか。
よく自称ADHDだとかメンヘラとか言うけど、ほとんどは愛着障害じゃないだろうか。

主語でかすぎて怒られそうだけど、アジア人の親は安心出来る場所を提供するのが苦手だと思う。負の連鎖。貧困も、愛着障害も、連鎖する。

たまにハッとすることがある。
母親がわたしにしていたような接し方を、私も友人だとか恋人にしている。

なんかこの文章全体的に自分の両親への批判っぽくなってしまったけど、両親が悪いということでは無い。なんかもう許すとか許せないとかそういう議論じゃない。
通常生きていると、家族の異常さに気づく機会なんてそうそうない。自分の家族が常であり、基準であり、普通だから。それがやはり気付かぬうちに受け継がれてきたのだ。
気づくこと。繰り返さないこと。

私はこの連鎖をここで止めなくてはいけない。
どうすれば自分が自分である事を認められるのか。自分は何がしたいと思うのか。自分は一体何者なのか。



臍の緒を、切る。
怖いけど、切らなきゃいけない。
私は私一人だ。孤独という意味ではない。
私の中で作られた細胞一つ一つは全て私だけのものであり、誰とも違う。一親等である親とも、兄とも全く違う。私だけ。

私以外私じゃないの。って曲を思い出した。
当時、意味のわからない歌だと言って母親が馬鹿にしながら歌っていた。私も、なんじゃこの曲は、と思っていたけど。
今歌詞を読んでみたら、そうそう、これだよねって思う。私以外私じゃない。


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