見出し画像

SNS世代は長文に飢えていないか

物心ついた頃からSNSが当たり前の世代は長文を書くプラットフォームが身近に存在していないのではないだろうか。新聞やブログがTwitterの140文字に、YouTubeがTikTokの15秒に圧縮される流れは記憶に新しいが、端的な世界に育ったニュータイプとも言えるZ世代にとって"長文失礼"の文句はもはや死語と化している。

あるいは受験における小論文や大学で日常的に提出するレポートや論文はどれだけ人の目につき、評価が受けられるのだろうか。いいねの通知がもたらす脳の報酬系の分泌をどれだけSNS以前のプラットフォームで再現できるのだろうか。大学側が評価経済社会に則り、社会的な支持不支持をどれだけ客観的なデータとして成績に反映することができるのだろうか。もはやS評価を貰うよりもリツイートが1万を超える方が意義があるのではないかと最近よく思わされるのだ。ここに一つの分断がある。短いものは比較的、客観性の高いデータによる社会的な評価が即時なされ、長いものはそうなり得ないーーとSNS世代が思い込んでしまうことだ。
若い世代は本を読めないと揶揄されることはあるが、単純な情報摂取量は明らかに上回っているはずだ。ただ、前述した懐疑によりアウトプットとして長文という形式を取らないことが多いため、本を書く若者が減ることは危惧すべきかもしれない。
本を読めないのではなく、本を書けないことが問題ではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?