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受験生に、クリスマスや正月はない。
と言うものの、熱心な受験生じゃない私は、相変わらず先生の事ばかり考えていた。

年が明けたら、本格的な受験シーズン。
この頃も毎日会いに行っていたはずだが、何をしていたのか覚えていない。
センター試験の前も会っているのだろうが、何か話したんだっただろうか。

試験が終わった翌日の、月曜日。
学校で自己採点をした。
試験中に気づいていたが、得意科目の国語が全くできず、今までで最低の点数だった。
夕方、先生のところへ行き、結果を報告した。
とにかく、国語が悪かったと言っていた気がする。

この結果を踏まえ、担任と面談をした。
親とも話をした。
しかし、どちらとも 大喧嘩をして、担任からは「もうお前とは面談しない」とまで言われ、家に電話までかかってきた。

1月半ばにセンター試験を受け、大学に願書を出す締め切りは、2月頭。

私は、それまでの人生で一番悩んだ。
悩みまくった。

センター試験の点数で合格できる可能性がある学校の中で、自分が一番興味を持ったのがAという、遠方の内陸の県にある学校だった。
ここの二次試験は特殊で、専門の知識が求められる。
私はその分野に関して知識があったが、学校での勉強しか見ていない担任からしたら、絶対に無理、無謀だと言われた。
担任はBという、これまた遠方にある学校をすすめてきた。
ここでも興味がある分野を学べるし、二次試験は普通の科目だけで、確かにAより合格の可能性は高かったのだろう。
でも、私は断然Aを受けたかった。
そして、担任と大喧嘩をした。

悩みに悩んで、私はCという隣県にある学校も視野にいれることにした。
それまで1回も関心を持ったことのない学校だった。

私は、寒がりだ。
今住んでいるところが雪国なので、これ以上寒いところには行きたくないという思いが強かった。
悩みすぎて、悩みすぎて、でも、これ!という決定打はなく。
ある時、ふと天気予報を見ていたら、悩んでいる学校の中で一番暖かいだろうと思っていたAが、内陸にあるため、最低気温は断トツで寒いことに気づいた。
BとCは、気候はほぼ変わらない。

私はCを受験することにした。

担任とも一応和解をして、了承してもらえた。

こうやって、揉めに揉めている間、先生は、ああしろ、こうしろ、とは言わずに、たくさん話を聞いてくれた。

最終的にCを受けると決めてから「Aはやめといた方がいいと思っていた」と言われた。
担任とも親とも揉めて、四面楚歌状態になっていた私にとって、先生だけが本当に信頼できて、本音を語れる存在だった。


そして、「先生の近くにいたい」が、私の一番の志望動機だった。

そのために、一番近いCの受験を決めた。

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