「光る君へ」のための平安準備情報⑰

…としつつ、今日は光る君へにダイレクトに関わるわけでもない笑、『竹取物語』について少し書きたいと思います。

『竹取物語』=かぐや姫という形でなじみ深い古典のひとつです。
「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり」からはじまる一節を暗唱させられたなぁ、という方も多いのではないでしょうか。
あとはauのCMのかぐちゃん。
高畑勲監督の『竹取物語』。
市川崑監督の『竹取物語』。

かぐや姫がUFOに乗って月に帰るというぶっとんだ設定ながら、
雰囲気があって私は好きです。

貴公子の話はプロローグ

昔話としてのかぐや姫は、貴族達の求婚があり、それにかぐや姫が難題を出したことで誰もかぐや姫と結ばれず、おじいさん、おばあさんとの別れを惜しみながら月に帰って行く、という内容が多いかと思います。
確かにそうなのですが、昔話のメインとなる貴族達の求婚と難題のくだり、これ、『竹取物語』として見れば、プロローグにすぎません(分量は結構ありますが)。
本題はそのあとの帝との物語にあると思われます。
高畑勲監督の『竹取物語』にはあごのとがった人物として戯画的に描かれている帝ですが、端的に言うと、『竹取物語』はかぐや姫と帝の、異世界を背負った者同士の許されない純愛ピュアラブストーリーである、ということができると思います。

『竹取物語』の帝

高畑勲監督の『竹取物語』はとても居丈高でいやらしい人物として登場しますが、その居丈高な部分は、非常によく原作の世界をとらえています。
当初の原作の帝は、自分に敬語表現をばんばん使います。
「この女をもし私に翁が差し上げるなら、私が翁に位をあげなさるぞ」というようなかんじです。自分の行為に「なさる」を多用しています。
確かに竹取の翁は身分も低いので、理解できないことはないのですが、その言葉遣いからは帝の性格まで垣間見られて、『竹取物語』すごいな、と思うところです。

帝、恋におちる

全然自分のお召しに応じないかぐや姫にしびれをきらして翁の家に乗り込む帝(ここにも強硬な性格が表れているかと)。そこで、かぐや姫の美しさと帝に屈しない強さ、そして、さっと影になって消えるというかぐや姫の人ならざるパワーを見せつけられ、帝は恋に落ちてしまいます。
ここの描き分けも鮮やかで、恋に落ちてからはぴたっと自分に敬語を使うのをやめ、かぐや姫に敬語を使い始めます。

異例の3年にわたるプラトニックラブ

平安時代において帝の結婚は政治的な意味を持っており、非常に重要なものでした。このあたりのことは以下に書きました。

なのにこの帝、かぐや姫を好きになってから、3年にもわたり、ほかの妻と夜を過ごすことなく、かぐや姫と文通をして過ごします。
これは平安時代においてはもう異常事態中の異常事態です。政治的に危機的状況です。
だからこそ、この帝がいかにかぐや姫が好きなのかを示すエピソードとなります。
しかしそうした中、かぐや姫は月に帰ってしまうこととなるのです。
帝はかぐや姫をつれていかせないために兵を送り込みますが、月の人の前では無力。かぐや姫本人もそうしたことがわかるのか、月に帰ることは粛々と受け入れています。しかし、そこに描かれる世界がまたおもしろいのです。

地上=穢きところ

迎えにきた月の人はかぐや姫に薬を飲ませようとします。その理由は「穢(きたな)いところ(地上)のものを食べていたから」。
月の人にとって地上は穢い、汚れたところなのでした。
月の人は「かぐや姫は罪をつくりたまへりければ、かく賤しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり」(新編日本古典文学全集『竹取物語』P72)と翁に語っています。かぐや姫は、何かの罪を犯し、その刑罰として地上に送られ、その刑期が終わったから迎えきたということです。しかもかぐや姫に尊敬語を使っているので、かぐや姫は月でえらい人であったようです。
その薬を飲むと、地上での人の心を一切忘れてしまいます。
月の人は穢れたところにいたくないのでしょう、早くしろとかぐや姫をせかしますが、それを制して、帝にお手紙を書きます。その内容が

今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあはれと思ひいでける

今はもう天に帰るときなので羽衣をきなければなりませんが、私はあなたを「あはれ」と思い出しています。
というものでした。
「あはれ」=なかなか訳が難しいのですが、源氏物語で光源氏の妻女三の宮と密通した柏木が、死を前にして女三の宮に「あはれとだにのたまはせよ」=せめて私をあはれだと思っていたとおっしゃってください、と求めていますので、死を前にして愛しい人から聞きたい言葉であった、といえそうです。
ということは、かぐや姫は、帝にここで思いを伝えた、ということになるのです。しかし、かぐや姫は月に帰らざるをえないのでした。

あなたといられないならば不死でありたくない

かぐや姫は帝にこの手紙と月からの薬を託します。
月は、平安の人にとって不死を象徴するものでした。新月となって消えるのにまた出現するからです。そして、そこには「をち水」と言って飲むと不老不死を得られるものがあると考えられていました。
月からの薬。それは不死を叶えるものだ、と想定されるものっだったのです。
為政者にとって不死は永遠の権力を約束するもの。
かぐや姫からの愛を込めた最後の贈り物であったといえるでしょう。
しかし、帝は、この薬を飲むことを拒否し、天に一番近い山、富士山にもっていかせて焼かせるのです。自分のかぐや姫への思いをこめた手紙とともに…。手紙を焼かせることで、私の思いが煙りとなってかぐや姫に伝わって欲しいとの願いを込めてのことでした。
もちろん月からの薬をありがたがって飲むことは月を主、地上を従とするものなので、帝としてできない、という点はあるでしょう。
でも、あなたといられないなら不死を得ても仕方がない、という思いがあるからこそ死を選ぶ、というこの展開、非常にエモいなと思うのです。
そして『竹取物語』が非常に緻密な世界観で、緻密に描かれていることもまたわかります。
『源氏物語』の中で、『竹取物語』は物語のはじめであるとされています。そうした、はじめての物語が、地上と天上という異世界を背負った人物同士が恋に落ち、しかしその背負ったものゆえに結ばれず、それでも愛を求めて不死を拒否するというエモーショナルな物語であったこと、端的に平安人すごすぎるな、と思います。

竹取物語、角川ソフィア文庫などでさくっと読めますのでよろしければぜひ原文を読んでエモさを味わってください。



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