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Specialではない特別支援

 高等学校で特別支援が重視されなかったのは、高等学校は定型発達の生徒が通い、支援の必要な生徒は特別支援学校に行くという通念があったからだと思います。しかし、発達障害の認識は、通常の学力がある生徒でも生きづらさを感じ、心の病、いじめの対象、不登校などの症状を発症してしまうということに気づくきっかけになりました。つまり、通常の高等学校にも支援が必要な生徒、特別なニーズのある生徒が必ずいるということです。
 特別なニーズは、知的や発達の障害に限ったことではありません。外国ルーツ、貧困、虐待、LD等、それぞれの占める割合は僅かでも、すべて合わせるとかなりの生徒がニーズを持っていると言えるでしょう。また、それぞれのニーズは、定型発達との間に明確な線引きができるわけではありません。また、1人の人格の中で発達の凸凹があり、一部が弱いということもあります。よく言われることですが、ニーズと定型発達とは、グラデーションのようにつながっています。
 特に、高等学校まで成長してくると、幼い頃発達の凸凹があり、集団の中では目立ってしまった子供も、多少の折り合いをつけられるようになり、ずれが目立たなくなってきます。すると、個別のニーズに合わせたメニューで個別に特別な支援をするという方法はあまり必要がない状況になってきます。
 通級の制度は、障害を持たない生徒にも開かれていますが、普通の生徒と同じ振る舞いができるように個別の指導をする制度です。しかし、発達障害の生徒は6%もいて、この対象になる生徒全員に個別の支援をしていくのは現実的ではありません。また、子供達は日々成長していて、適応してきているから、過去の経歴を元にして対象者を限定していくことも適当ではありません。
 大切なのは、特別なニーズを特別視しないこと、授業がすべての生徒に開かれたものであることです。
 今までは、高等学校には特別支援の対象者はいないものとしていましたが、そもそも典型的な普通の生徒などいないことを認め、特別なニーズが特別ではなくなる学校づくりから始めるべきでしょう。
 

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