天明の大飢饉。

江戸時代に起きた天明の大飢饉。
夏なのに冬のような寒さが続いたそう。原因はいまだに特定できず。

関ヶ原以後、藩の中に押し込められた大名たちはこぞって干潟を干拓し新田開発をおこなった。これゆえ人口は1200万人から3000万人となる。まわりすべてハゲ山になるほど木を切り倒して肥料にした。

しかも米を大阪で金に変えることができたようで、さらに新田開発は進む。

そこで宝永大地震の津波が田に押し寄せる。そして天明の大飢饉。

農家は新田開発より、反収をあげる知恵を磨いた。読み書きも取得した。その流れで寺子屋もできた。

地震も飢饉もまた起きるだろう。長い歴史の今日を生きているということを認識して明日も畑に立つ!

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