見出し画像

これが彼との最期の逢瀬だったなんて…あの時のわたしは知る由もなかった…


彼と彼女と会ったその後で、LINEや電話でケンカをして、そのまま終わってしまった


よく考えてみれば、あれが最後の逢瀬だったのだな…と、信じられない想いと共に、その現実に直面する


あの時は、まさかこの逢瀬が最後になるなんて、微塵も思ってない


だから、普通に振る舞っていたし、また次があると、当たり前に思っていたから、特別な気持ちや覚悟では会ってはいなかった


今更になって、もっとこうしていれば良かったとか、あんなことは言わなければ良かったとか、素直にして欲しいことを伝えれば良かったなどの後悔が、溢れ出してくる


でも本当に、まさかあの日が最後なんて思ってもいなかったんだから、あの日、完璧な自分を演出することは、頭にもなくて、自然体で接して、帰ってきた


お別れを告げる為に会う…


心の準備時間を相手に与えた上で、しっかりと相手と向き合い、罵倒されることも泣き崩れられることも覚悟をして、会おうとする男はどれくらいいるんだろう…


大体の男は、そこから逃げるし、LINEや電話で終わらせようとする


これまで紡いできた時間はなんだったの?


そんなふたりの時間を全否定するかのように、フェードアウトや音信不通にして、この恋を簡単な形で終わらせてしまおうとする男達に、女は心の底から嫌悪する


自分を愛し大切にしてくれた人に対して、逃げた先に、楽園は、ない


現実から、この面倒なことから、相手と向き合うことから逃げても逃げても、その先に待っているのは、不毛地帯だ


最後には、誰も自分のことを愛してくれなくなり、向き合ってくれなくなり、相手も自分から逃げるんだ


わたしは常日頃から、愛とはエゴだと言っているけれど、愛とは慈悲であり、謙虚さを伴った感謝であり、立ち向かう勇気が、そこに深く刻まれていると、思っている


奢れる者は久しからず


与えられる愛に胡座を掻いて、takeばかり求めていれば、giveされなくなってゆく


give & takeのバランスが、愛の向上を意味し、傷つけ合っても、そこに傷つけられても傷つけてもとことん向き合う姿勢がなければ、どんな人間関係も築けない


それを知ってか知らぬか


大切な人との突然の終わりを迎えることが、恋というものにあるのだとしたら、そこは抗えない真実として根を張っているのだとしたら…


これが最期の逢瀬になるかもしれないと肝に銘じて、お相手と一度一度の逢瀬を大切に過ごす


次があるとは、限らない


大人の恋は、好きなだけでは続けていけないことがある


仕事や環境、体調の変化、様々な事象が我々を取り巻き、気持ちがあっても、会えなくなることも、悲しいかなあるんだ


同じコミニティーにいればそれも、回避できるかもしれないが、単純に顔が見られるという状況と、心を繋げて肩を寄せ合うということとは、異なる


わたしは、前にも書いたが、会えばケンカはしない、楽しく笑顔で過ごす


それは、これが最期の逢瀬になるかもしれないという、危機感を常に持っていて


今回の反省を次に活かすことが出来ると過信することは、次があるという根拠のない希望的観測でしかないと、思うから


自分に次はあっても、彼に次はないかもしれない その逆も然り…


彼にまた会いたい想いはあっても、それが叶わない現実がやってくるかもしれない仮定の中で、彼との逢瀬の一度の過程の重みを感じて、常にこれが最期の逢瀬だと自分に言い聞かせて、自分の一番を彼に見せ、尽くしたいだけ尽くして、今日これが最後になっても、後悔のないように彼と対峙する


一度一度の逢瀬に完全燃焼するわたしと対照的に、不完全燃焼の彼とは、最期の逢瀬に対する印象が違ってくる


意図せずに、ただただ


あなたと向き合う時はこれが最期になるかもしれないと思っていれば


この恋がサイテーなものであっても


自分はサイコーだったと


思える


あの日が最期だったんだね


わたしはやり切ったよ


あなたの顔をもう見られなくても
あなたの肌にもう二度と触れられなくても


わたしに後悔は、ない


だってあの日のわたしはきっと多分


完璧だったと、思うから…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?